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June 29, 2005

第21話 もうひとつの戦後2(マンダリヨンの駐屯地)

 空港で出迎えてくれたU氏はマニラ日系人会会長の息子さん(今は彼が会長:理由は後述)だ。ガッチリした体格で見るからに頼もしい24歳の青年である。今は海上警備隊の将校である。完璧な日本語を話し、敬語の使い方や相手を思いやる表現など、最近の日本の若年層が悲しいことに霞んで見えてしまう。国家警察の同僚2名が付き添いで友情出演してくれた。RさんとMさん(女性)は例により愛想のいい見るからに典型的なフィリピン人だ。我々乗せた車両は警察のクルマだ。赤色灯をつけサイレンを鳴らしながら周囲のクルマを蹴散らして走って行く。我々はVIPでも何でもないが、何か爽快な気分になってしまった。
 我々は早速マンダリヨンというマニラ東部のエリアに向かった。目的は日本軍が駐屯していた跡地がどのようになっているのかを見に行くためだ。A氏の兄は海軍の気象部に属し、数ヶ月間マンダリヨンにあった駐屯地に滞在していたことがはっきりしていて、是非兄の足跡を辿りたいという強い希望を持っていた。
 マンダリヨンは住宅やら雑多な建築物で埋められていて、それらしい建物は今は見当たらないとU氏は事前に知らせてくれていたが、彼は当時あった臨時の滑走路を想定し、さらに周辺の地形から、この辺りに違いない、と特定していた。そこまで彼は事前のスタディをしていたのだ。彼は言った。「母からはこう言われています。遠くから60年ぶりの肉親の慰霊に来られるのだから、充分な応対をしなさい、と。」彼が探し当てた地点は草むらの荒地であったが、比較的近くにマカティのビル群を見渡せる。A氏もきっと兄はこの辺りを歩いたに違いないと納得した。近くでは物珍しさからか地元の子供たちがどこからともなく集まり、我々に愛嬌を振りまいている。付近の人の間でも過去のことは風化しているのだろう。

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June 27, 2005

第21話 もうひとつの戦後 at コレヒドール

 A氏は6人兄弟の6番目、末っ子として生まれ、9歳の時に終戦を迎えている。そして13歳年長の長男はフィリピン海域で在船中にアメリカの潜水艦に雷撃を受け、沈没、戦死した。1944年10月18日、北緯14度03分東経119度39分。マニラ湾の入り口に浮かぶコレヒドール島より西南西に70マイルの地点である。南方には小野田さんが発見されたルバング島がある。
 予てからの念願を果たし、終戦後60年の今年こそ兄の弔いを果たしたいとA氏は願っていた。しかし、場所はマニラから200km近く離れた洋上である。相談を受けていた私はあるNPO法人の会長に何か算段はないもいのか相談をお願いしていた。ここの会長は長年にわたりフィリピンの日系人や困窮日本人への援助を行ってきていて、現地の日系人会会長の息子さんU氏を紹介してくれた。U氏は行動力があり、滞在中のあらゆることに便宜を図り、段取りをしてくれた。
 海上での慰霊については、当初はセスナで現地を3回くらい周回し、慰霊の品物を上空から海上に投下しようと予定していた。しかし、セスナの安全性をA氏の周囲の方々が危惧した為、上空からの慰霊は断念し、現場に近いコレヒドール島の西側から西南方向に向かって行うこととした。協会に色々とお願いし、U氏と連絡を取っていただき、全ての段取りがついた。そして2005年4月9日A氏と私はマニラに向かった。

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June 24, 2005

第20話 現地在住の日本人VS現地駐在日本人

 これはなかなか奥が深いテーマだ。お互い日本人、困った時は助け合い、とは行かないようなのだ。一言で言って価値観が違う。どちらが良い悪いじゃないのだ。悪いことに駐在員は勝ち誇ったように現地生活者を見下していることが多い。駐在員は3年から長くて5年で日本に帰国する。頭の中にあるのは今どのように生活するかではなく、帰国した時のあるべき姿(会社の中での)を常に考えている。そうすると、駐在員にとって現地で生活する日本人との接点は絶対的な必要性がないのは事実だ。
 駐在している日本人のうちかなりの人はある程度の英語力がある。だから現地情報は会社というフィルターを通したものを含めてかなりのボリウムで得られる。もし駐在員に英語力がなく、現地情報収集力がなければ、現地在住日本人を頼るはずだ。ところがその必要性が薄い、というところに溝があるように思えるのだ。駐在員もそうだが、現地在住の日本人も千差万別、政府に食い込むくらいの活躍をしている方、どぶ板情報宝庫の方、訳の分からない方、どこかの首相じゃないが、人生いろいろだ。
 思うに、最近の外交を見ていても、日本人ほど同一国民としてのアイデンティティを捨て去ってしまった民族も珍しい。どこの民族も海外に出れば同じ民族としての同胞意識はあるじゃないか。日本人は海外に出たときこそ、身分の垣根を作ってしまうのか。フィリピンにいる日本人は経済的には上の上から下の下まで幅広く、日本人の意識の負の部分の縮図を感じてしまう。

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June 22, 2005

第19話 ドライバー(2:Jの場合)

 私はどちらかというと電話は苦手だ。面と向かって話した方が間違いが少ないし、本当の気持ちや考えが伝わる。私が赴任していた2年目あたりからフィリピンでも携帯電話は爆発的に普及を始めた。関係先の方々が持っている以上、伝達手段として私も持たざるを得ない状況となった。ところがご想像の通り、持っていれば、夜のお姉さんたちにも番号は成り行きで知られてしまうことになる。そうなるとメール攻撃である。1回1ペソだからメールはバンバンやってくる。
 ある日、会社に着いてから、ケータイを忘れてきたことに気がついた。無きゃ無いで構わないのだが、外部の関係先からも結構ケータイに直接連絡がくるので、やはり気になり、専属ドライバーのJに私の部屋の机に置いてあるはずだから、取ってくるよう頼んだ。「Yes,sir.」例によって返事はいつもいい。40分後彼は戻ってきた。やれやれ。ところでメールや未受信のコールは相手先名が太字で表示されることになっていた。見たところそのような太字の未確認メールや未受信の番号はなかった。
 ところが、である。何気なく過去の履歴を見ていたら、未読でない相手先で私が未だ見ていないメールがいくつかあるのだ。あいつ~見やがったな!
 ドライバー仲間内で暫く話題になったこと、疑いなし。トホホ・・・

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June 21, 2005

第19話 ドライバー

 メイドとともに我々が深く関わるのはドライバーだ。彼らはありとあらゆることを知り得るので、よく教育し口を封じておかねばならない。例えば日本人が二人で後部座席に乗っていたとしよう。日本人はとかく海外では日本語で話していれば分からないだろうと思い、現地人のいるところで無神経に現地人の悪口を言う。「へー、お前のところのマネージャのA、あいつはバカだからなあ。俺のところじゃMなんかも返事はいいが、リップサービスだけで何もしねえからな。」この程度の会話は、仔細は分からなくても褒めているのかけなしているのか位はわかる。少なくとも日本語の「バカ」の意味くらい充分に知っている。人の口に戸は立てられぬ。翌朝には誰がどう言ってたと噂が駆け巡ることになる。夜、どこのカラオケに行ったとか、どの娘とどうだとか、ドライバーは全てお見通しだ。従って、我々はドライバーには随分とチップをやった。目的は?勿論、口封じ。黙っていりゃチップが入る。金がかかれば彼らも忠実に命令を守る。それにしてもドライバーJの興味津々の度合いは私の想像以上のものだった・・・

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June 19, 2005

第18話 フィリピン人の味覚(味の素はエライ!)

 我々日本人の味覚は左党から右党までかなりの幅広さがあると思うが、化学調味料を使うかどうかについては意見の分かれるところだろう。そして科学調味料の代表選手は何たって「味の素」だ。実はそれまでは味の素の効用は全く意識したことは無かったのだが、あることをキッカケに私は味の素の大ファンになってしまった。
私は赴任した時に大量のソーメンと麺つゆを持参していた。何とソーメン10キロと麺つゆ6Lと記憶している。当分の間は休日の昼食は日本と寸分変わらないソーメンを楽しんでいた。ある日セブカンからゴルフ帰りの私は、ソーメンが茹で上がるまで、いつものテーブルで同じくセブカン帰りの同僚と海老のてんぷらでサンミゲルを飲んでいた。後はソーメンを食っていつものように昼寝だ。さて、ソーメン。汁につけて口に入れたとたん、もう一人の同僚ともどもに「何だこりゃ!」。汁はどう見ても醤油を水で薄めただけの代物だ。どうやら6Lあった麺つゆが無くなり、出汁の味覚が全く分からないメイドは見掛けは同じとばかりに、醤油を薄めてきたのだ。いくら腹が減っていても本当に不味くて食えない。どれくらい不味いか・・・やってみればわかる。
そこで目に留まったのはテーブルの上にある味の素の小瓶。ええいままよ、今よりは不味くはならんだろう。パッパッパ。ズルズルズルッ。ンッ!いけるじゃないか。カツオ出汁と味りんがあれば尚結構だが贅沢は言えぬ。薄めた醤油で一口食していただけに、その差は大きい。充分に‘食える’。その瞬間、私と同僚は「味の素は偉いっ!」を連発しながら一気にソーメンを流し込んでいた。
ところで蛇足だが、何で日本で買う味の素はこんなに高い?私は今でもセブを訪問した時は好物のSPAM(これも日本の半額以下で90ペソ)と味の素(250Gで23ペソ)は必ず買って帰るもののひとつだ。

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June 17, 2005

第18話 フィリピン人の味覚

 フィリピンの人達はまず第一に甘いものが好きだ。そして酸味が効いたものも好きだ。そうなると、料理の味付けが甘酸っぱくなることは理解できる。我々日本人には酸味の方は良いとして、甘さには閉口することが多い。
 私は仕事柄よく様々な会社や官公庁を訪問していたが、行くと大概コーヒーが出される。日本では、コーヒーと砂糖やミルクは別々に出されて、客人は自分の好みで甘さを調節するのが普通だが、ここでは違った。全てが投入され客人が掻き混ぜる手間も要らない状況で出されることがほとんどだ。勿論彼らはサービス精神からそうしているのだが、とにかく甘いのだ。そしてミルクの量も半端でなく多いから、かなり白いコーヒー牛乳状態で出される。彼らは美味しそうに飲んでいるが、私にはほとんどの場合、全部を戴くことは出来なかった。
 牛乳も甘かった。成分表を見るとちゃんと‘sugar’が含まれている。何と只でさえ甘いオレンジジュースにまで、これでもか、と言わんばかりに砂糖が添加されている。以前日本に研修に来たことのある情報システムの課長Jは言った。彼は日本人の関係者に連れられて軽井沢に行ったらしいのだが、そこで食べたソフトクリームについて「That had no taste.」。

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June 15, 2005

第17話 フィリピン米

 今回からしばらくは食べ物について。ローカルの人達について思い出すことといえば、まずは米を良く食べる。キャンティーン(社員食堂)でよく観察していると、少量のおかずに対してご飯の量がとにかく多い。女子でもボウル2つが平均だ。我々日本人も米は主食とは言え、ここまでは食べない。
 ではそのお味はと言うと・・・ フィリピンライスは東南アジア全般に多い長粒米であるが、10年以上前に日本で米不足のときに食べたタイ米のような臭さはなく、イメージほどは不味くない。かといって食感や甘みでは日本の米に慣れたしまった者には満足できるとも言えない。原因はひとつには焚き方にある。まず彼らは米を研ぐことはしない。米を研ぐと余分な糠やカビが落ちて見掛けも味も良くなるのだが、その分、様々なビタミンが失われていく。フィリピンの人達は米から摂るビタミンを重要視しているのだ。想像だが彼らの視力が非常に優れているのもこのためかも知れない。ぴかぴか光る白いご飯に慣れてしまった我々から見ると、ツヤの無いくすんだ色のご飯は確かにあまり食欲はそそらない。もうひとつの原因は炊き立ての熱さで給仕されないことだ。フィリピン人の多くは猫舌だ。熱い食べ物や飲み物が苦手だ。ローカルのレストランでは出てくる料理の多くは冷めていることが普通だ。ご飯も例外ではない。人間の舌は食べ物の温度で味わいが変わってしまうので、出された食べ物が作りたてか、冷めているのかは大きな違いだ。
 それと、焚く時に注意しなければならないことは水の分量だ。日本米の方が25%程度多めの水を必要とする。ところで再度メイドのRであるが、初めて彼女が我が家に来たとき、彼女は日本人の家のメイドをしていたことがある、と言いながらも、初日のご飯はやはり堅くて食べられなかったことを覚えている。
 でも、フィリピンライスで作る上海ライスはいける。私の大好物だ。

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June 13, 2005

第16話 メイド(5:タレコミ2)

 新たなタレコミの手紙によると、掃除洗濯をしているメイドのMとガードマンの一人とがデキていてあなたの部屋で時々コトに及んでいる、という仰天ものだ。さすがに扱いに困った。Mは18歳でまだ若く、きちんと化粧でもすれば見栄えはかなりいい方だ。ガードマンが目をつけてもおかしくはない。そこまでは容易に想像できるが、そこから先は・・・。
 恐らく誘ったのはガードマンの方だろう。Mの肩を持つわけではないが、彼女は自分から悪いことをするタイプではない。Mが初めてメイドとしてきた頃、部屋にある机の引き出しにわざと鍵をかけずに20ペソ紙幣を20枚ほど入れておいた。それくらいあると、1~2枚くらいはバレないだろうと持っていかれてもおかしくないが、何日経っても彼女はその金に触った形跡すらなかったのだ。彼女が積極的な主犯ではなかろうが、かといって事実なら無視も出来ない。もしタレコミが事実なら、そのガードマンは許しがたいが、どのように処置したらいいかが難しい。ガードの会社に言って、ガードマンを替えてもらうことも出来るだろうが、今度は彼から恨みを買うことになる。ましてや相手は飛び道具を持っている。会社の総務部長Tに相談してみると、メイドのMに1か月分の給料を渡して辞めてもらうのが一番良い、ということになり、私もそのアドバイスに従うことにした。Mはやがて何も言わずに去って行った。彼女はとても良く働いてくれていたので、何とも後味が悪かった。

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June 12, 2005

第16話 メイド(4タレコミ1)

 ビレッジのゲートから私の家(社宅)までは100メートルほどだ。どこの家も同じような造りだが、ドアの前が少し広くなっていてそこには2台分ほどの駐車スペースがある。さて、我が家の駐車場では・・・なんと宴会が繰り広げられていたのだ。どう見ても我が家のメイドRが中心になって振舞っている。Rは私の姿を見るとすっかり慌てて、聞きもしないのに例によって猛烈な勢いで言い訳めいたことを並べ始めた。興奮してビサヤ語交じりだから何を言っているのか私には解らなかったが、何が起きているかだけは見ただけで充分に解る。7~8人位いたはずの宴会参加者は具合が悪いと勘づいて、どこかに隠れている。バーベキューの台を見れば、誰もいないところで肉や魚が煙を上げている。Rに問いただしたところ、参加者は彼女の姉妹やら従兄弟やらの類である。肉や魚は皆が持ってきた物だと言い訳をしていたが、そんなことはあるまい。かといってそうでない、という証拠も無い。
 我々日本人駐在員は一旦会社に出てしまうと夕方までは帰らない、という状況を利用されただけなのだが、購入品についてのチェックがほとんどされていない、ということも良く観察していたのだ。私はついでに今日入荷したはずのルスタンスからの食材を見るために冷蔵庫を開けた。もはや驚くこともなかったが、大型冷蔵庫にぎっしり詰まった肉や魚の量は異常に多いのだ。メイドの食べる分を考慮しても、駐在員3名の夕飯の量としては異常だ。米は階段の下に保管しているが、ここには我々のジャポニカ米が10キロのほかフィリピン米がその3倍くらいの量で保管されていた。
 以後、食材の注文は必ず私に出すように、という私の指示にRは頷く他なかった。今回のタレコミの元は恐らくもう一人のメイドMだろう。なぜなら、宴会の場所にはMはいなく、家の中で掃除をしていた。メイドにも序列があって彼女は宴会には入れてもらえなかったのだろう。Mはいつ見ても掃除や洗濯、アイロンがけ、食器洗いなど、良く働いていた。が、このメイドMについても後日タレコミの手紙が来た。フィリピンの人たちはこと左様にタレコミが好きなようだ・・・

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June 10, 2005

第16話 メイド(3)

 食事の材料とかは、メイドが必要な食材をメモに書いて、ドライバーに渡し、ドライバーが総務のJという女性に渡す。彼女はルスタンスというデパートに発注し、ルスタンスは概ね翌日に配達する、という仕組だ。大体1週間に1回の発注だが、この金額は一人分1ヶ月あたり2,500~3,000ペソくらいで、米や味噌など特殊な物は別途購入した。現地の物価からして少し高い気もしたが、メイドも食事は摂るからまあこんなものかな、と思っていた。ところでフィリピン人には面白い思考形態があって、誰かがいい思いをしていると、その者について悪い情報を流す物が必ずと言ってよいほど現れる。これも一種のクラブメンタリティだ。
ある日、私宛に1通の手紙が届いた。曰く、メイドのRは肉や魚をいつも余分に買い、自分の家に持って帰っている、というのである。さもありなん、とは思ったが、証拠をつかむのは難しいだろう。
ある日、仕事上の所用でセブ市内に出たとき、ふと家に立ち寄ることを思いついた。ちょうどその日はルスタンスの食材配達の日でもあるし、時間も12時を少しまわったところで彼女たちは昼食をとっているかもしれない。日頃彼女たちがどんな食事をしているのかも見てみたいという興味もあった。ドライバーのDに家に立ち寄りたい、と伝えた。さて、我が家の駐車場についたとたん、ある光景を見て、私は仰天してしまった。

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June 08, 2005

第16話 メイド(2)

 料理を担当するメイドRは家が近く、住み込みではなく通いだ。朝食を作るため朝は5時にやってきて、夕方は6時の業務終了だ。初めのうちは確かに忠実にこの時間に来て朝食の支度をしていたかの様に見えた。さて、ある時期から運動不足解消のため、私は朝5時過ぎに起きてビレッジ内を早朝散歩することを始めた。その初日からあることに気がついた。食事のメイドRがいない。ところが朝のハムエッグと味噌汁は出来ている。掃除担当の18歳のメイドMに訪ねた。ハムエッグは君が作ったのか?と。当然のように「そうです」とM。何とRは飯炊きのみならず、ハムエッグと味噌汁を作ることさえMにやらせ、自分は悠々と重役出勤?していたのである。Rは6時少し前になってやってきた。我々日本人スタッフは測ったように6時に起きてくるのを知っていて、何と毎日5時45分に出社?し、まるで自分が調理したかのように給仕していたのだ。私が散歩中にゲートの前で見かけたとき、例によって、いつもは5時に来ているが今日は夫の病気で家を出るのが遅れジプニーが捕まらず、たまたま今日は遅れた、とか。誰も信じません。じゃ、なんでハムエッグはあんたはいなくても出来てるんだよ。いつも作らせているんでしょ。何とこの国ではメイドでも使う側と使われる側に分かれてしまうのだ。日本でも昔ありましたね。自分より下の身分の者がいると社会全体としては丸く収まるとか。Rの所業はこれだけではない・・・

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June 06, 2005

第16話 メイド

 日本では、どんな人も少なくとも‘表面的には’平等に扱われる。フィリピンは明らかに階級社会だ。そしてそれぞれの階級の垣根はかなりはっきりしている。会社の事務所の中でも随所で見て取れるし、日本人はその中では間違いなく上流社会の人として位置している。会社の中の所謂OLたちが、自分たちより明らかに下の者として見ている階級がある。会社の中では現場作業者、ジャニターと呼ばれる掃除人、社有車の運転手、会社の外ではカラオケガールとメイドである。そして驚くことに、そのメイドにも格差があるのだ。
 私が住んでいた寮は私を含めて3人の日本人が住人である。メイドは2人居た。一人は料理を作るメイド、もう一人は掃除洗濯専門のメイドである。料理のメイドはメイド暦ン十年と言わんばかりのこの世界を知り尽くしたと言わんばかりの小太りのおばさん。掃除のメイドは18歳で英語も怪しい娘だ。給与は料理のメイドは月2500ペソで掃除のメイドは1500ペソである。やる仕事が違うので給料が違うのだ、くらいにしか始めのうちは私も認識していなかった。ところがそういう違いではなかったのだ。彼女たちなりの身分の違いなのだ。家の人達が喜ぶ料理を作れるというのは、上級メイドとしての地位を示しているのだ。
 ある時、いつに無くご飯が堅かった。料理のメイドにちょっとクレームをつけた。彼女は私がクレームをつけた以上の剣幕で掃除のメイドを叱りつけていた。なんと、自分が楽をするために、料理のメイドは掃除のメイドに飯炊きをさせていたのだ。私は、飯炊きはあんたの仕事でしょ、とたしなめたら、今度はビサヤ語混じりの猛烈な勢いで言い訳を機関銃のようにまくし立ててきた。分かった、分かった、明日からちゃんと飯を頼むよ・・・
 それにしても、他のことでもこの料理のメイドはずる賢かった。

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June 02, 2005

第15話 フィリピン人の給与(3)

 以前にフィリピン人現地スタッフの給与について紹介したことがあったが、ちょっと思い出したので、再度。
 毎月2回ペイロールという給与支払い明細に目を通していたが、ある時妙なことに気がついた。ディダクションの項目に何やら訳の判らないものがあって、キャッシャーのJという女性に尋ねたところ、給与前借の返済だそうで、これがやたらと目に付くのだ。あとになって知ったのだが、既に働いた分(労働債権とでも言うべきか)については前借という形が取れるそうで、前回の給与締め日以降の働いた分の給与相当額を前借として受取る者がかなりいるのだ。私がいた当時の給与の支払いは毎月15日と月末の2回払いである。月2回払いということは、給与計算業務を毎月2回行うということであり、貰う立場からすれば有難いが、計算する管理部門の責任者としては非効率に映る。しかも、前借に来た者の「労働債権」相当額をいちいち確認するための作業量は半端ではないだろう。
一般にフィリピン人の金銭感覚は自転車操業的で、あれば後先を考えずに使ってしまう。給与が月に2回支払われるのも、一度に1か月分を渡してしまうと次の給与支給日までとても持たない、という彼らの生活パターンから考えると、納得せざるを得ないのだ。これは使っていたメイドにも同じことが言えた。次回はメイドについて・・・

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