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November 30, 2005

第65話 シシック

 昨日、昼飯で鳥のそぼろ丼を食べていて、フィリピンのある食べ物を思い出した。素材も味付けも全く違うのだが。
 シシック(どんなスペルかは覚えていない)といって、豚のホッペタをチョップし、ビネガーでちょっと酸っぱめ、そしてスパイシーに炒めたもので、サンミゲルのお供にはうってつけの1品だ。正直言って、フィリピン料理の中には苦手なものも多くあったが、このシシックは私にとっては相当な好物と言ってよい。
 セブ市内でも幾つかのローカルレストランで食べたが、イチ押しはポーチコ(これもスペルは覚えなし)。ガイサノカントリーモールの入り口の角にある屋外のレストランである。
 豚のホッペタといえば、その皮をカリッと揚げたスナック菓子のようなものもあった(これはさして美味しくなかった)。
 中国人は、飛んでいるものは飛行機以外なんでも食い、4本足がついていれば机と椅子以外何でも食う。日本人だって鮟鱇のように1匹の食材を残さず食してしまうが、豚のホッペタってどうしているのだろう。思い出したらちょっと気になった。

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November 28, 2005

第64話 闘病生活?(11:証拠の品)

 2週間ほどして、喘息の発作は全く表われなくなった。吸入を1日2回、そして指定された薬は1日3回。この飲み薬は結構強いものだったらしく、時おり動悸やめまいがやってくる。
 そして、顕著なことが起きた。匂いにやたら過敏になってきた。私はもともと慢性鼻炎のせいか、匂いには鈍感で、ごま油で調理してもあの独特な香りを感じることが出来ない。ところがこの薬を飲み始めてからというもの、今まで感じたことの無い匂いをあらゆるところで感じ始めたのだ。部屋の匂いやバスルームの匂いとははこんなものだったのか、と始めて知った。食べ物も今までとは全く違う味がする。Y医師に相談したら、薬は半分にカットして分量を減らすように指示された。
 帰国してからも1度、スギ花粉に誘発されひどい発作に見舞われた。だから今でも発作時に使うスプレーは出かけるときの必需品として、持ち歩いている。
 もう湿気てしまっているだろうが、私の部屋には5年近く前に購入したキャスターマイルドが2カートン、未開封のまま残してある。これは禁煙をしたという証の品である。

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November 26, 2005

第64話 闘病生活?(10:Y医師)

 タクシーを待ってもいつ来るか分からないので、自分で行くしかない。二人の同居人(同僚の駐在員)はまだカラオケから帰ってきていない。車は自分で運転した。職務柄、日本人同僚に何かあったときは処置や支援を行わなければならない立場だったが、自分が緊急事態になった時には同僚からは助けを得られない、ということを思い知らされた。そして止まらない咳と途切れ途切れの呼吸でぼんやりした意識でも何とか10分ほど運転し、セブドクターズに辿り着いた。
 Y医師は既に狭い診察室にいた。すぐに吸引のボンベを手渡された。Y氏はこういう具合に吸うんだといって、まず始めに自分で実演して見せた。さて、私がやってみると折角の吸引も咳き込んでしまってすぐに吐き出してしまう。それでも2~3回やっているうちに症状は次第に治まっていった。
 落ち着いたところでY氏は言った。
「もしあなたが未だ死にたくないと思うなら、タバコはやめなさい。このことは1回しか私は言わない。決めるのはあなただ。」
もはや答えはひとつしかなさそうだ。Y氏の処方で薬を入手し、”まじめに”療養をしようと禁煙生活がスタートした。

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November 25, 2005

第64話 闘病生活?(9:喘息)

 退院して2~3日後、夜中に突然の猛烈な咳き込みで目が覚めた。しかも今までとは違う状況だ。呼吸が出来ない。息を吐こうとすると気管が拒否してしまってどうすることも出来ない。出るのは苦しい咳だけだ。水をゴクンと飲むと、気管も開くのかその瞬間だけ息を吐ける。呼吸は吐かないと吸えない。だから息を吸い込んだままの状態になってしまい、次の呼吸が出来ないのだ。
 このような夜中の突然の発作が毎日続くようになった。肺炎から喘息に移行してしまったらしい。しかも日ごとに程度がひどくなってゆく。横になると特に症状が出やすいので、ベッドから降りて床に座りそしてベッドにもたれかかるように体を起こして眠るようにした。当然熟睡はできず、今度は日中眠くなる。そんな日が数日続いた。
 いつものようにこの日も夜中に発作は始まった。いくら喉をかきむしっても呼吸が出来ず、日本を離れこの地で3年、ついにここで死ぬのかとさえ思った。手元の携帯電話に手を伸ばし、知合いのフィリピン人に電話をした。彼は最近の私の状態を知っていたので、何かあったらいつでも自分に電話しろ、と言っていた。夜中だったが、彼は今すぐにセブドクターズに来いという。彼の友人のYという肺の専門家に頼んで病院に来てもらうから、すぐにでも来れるかと言うのだ。私には選択肢はなかった。

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November 23, 2005

第64話 闘病生活?(8:懲りない男)

 私は鼻炎持ちである。要はアレルギー体質なのだ。今回肺炎にかかるまでは、花粉症のシーズンの鼻詰まりほど苦しいものはないと思っていたが、考えを新たにした。咳が止まらない方がやはり苦しい。鼻が詰まっても呼吸は口で出来るが、咳き込むとそうはいかない。
 ひどく咳き込むとナースが背中を叩く、そんな日々が数日続いた。それでも食事だけは前回よりもはるかにマシだった。N亭の弁当はおいしく、いつも残さず平らげた。120ペソで小さいながらも鰻が入っていた時もあった。部屋のシャワーも存分に使った。病院の給食はもしよければ、と言って付き添いナースに勧めた。彼女はおいしそうに食べていた。
 1日3回、機械から吸入を受け、安静にしているうちに卵の薄皮が剥ける様に、状態は良くなってきた。咳の出方もドライでなく、痰が出るようになり、連続性の咳ではなくなってきた。こうなるとやはり普段の生活に戻したくなる。やはりドクターに頼んで退院を申し出た。医者は自宅で安静にする、という条件でそれを認めた。
 またしても自由を得た私は、よせばいいのにそのままN亭に向かい、病院を出て1時間後にはカウンター席に座っていた。そして、久しぶり、とばかりにキャスターマイルドに火をつけていた。全く懲りない男だ。

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November 22, 2005

第64話 闘病生活?(7:まいった)

 明日から入院となった日の夜、取敢えず1週間分のパックランチの代金を前払いと、N亭に行き、少なくともこれから1週間は飲めない酒を飲んでいた。ついでに、やめておけばいいのに、吸い収め、といってタバコを何本か吸った。どうやらこれが災いした。
 翌日から、再びパーペチュアルサッカーの寝床に寝転がる日々が始まった。点滴の注射針が無いだけでも随分と行動に自由が与えられた感じだ。相変わらず小刻みな咳は止まらず、先行きに不安はよぎるが、とにかく病院の中にいる、という妙な安心感があった。
 ところが、その日の夜中、急激な咳き込みで目が覚めた。とにかく止まらない。脇においてあったペットボトル水をゴクゴクと飲んでやっと収まった。例により付き添ってくれている会社のクリニックのナースLが盛んに背中を叩く。不謹慎にも吸い収めと言って吸ったタバコの鉢が当たった。この時を境に、以前にも増して咳き込む状態は明らかに悪化した。
 咳き込みに疲れると、自然に体が要求するのか、2~3時間眠れるようになるが、また発作的に咳き込み、目が覚める、という繰り返しになってしまった。まいった・・・

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November 20, 2005

第64話 闘病生活?(6:再び)

 私はそれまでタバコはキャスターマイルドを1日一箱吸っていた。それまでに禁煙にトライして1年くらいはタバコをやめていた時期もあったのだが。
 風邪ではなさそうだが、コホンコホンと小さな咳が断続的に出るようになった。そして胸がムズムズする。そして今までに経験したことない事だが、熱燗の酒を飲もうとするときに、息を吸い込むと蒸せって仕方がない。何なんだろう?アルコールの揮発分が肺に沁みるのを実感した。生来の楽観主義者ゆえ、何だろうと思いつつも、特に手を打つこともなく、龍角散で誤魔化していた。いつまでたっても症状に改善の兆しが感じられず、会社のクリニックに相談したら、レントゲン撮影を勧められた。取敢えず近くにあるマクタンコミュニティという病院に行き、検査を受けた。結果は肺炎だった。写真を見ると、肺の中に黒ずんでいる箇所があってそこが患部らしい。
 入院とはいっても今度は二度目なので気持にも余裕があった。食事制限はないので、いつも行っていた居酒屋N亭のA氏に頼んで、昼食と夕食の差し入れも頼んでおいた。これで食べ物についてはこの前のような悲惨な目には遭わなくて済みそうだ。どうなるかと思ったが、今回は点滴もないらしい。なーんだ、こりゃ快適な入院生活になりそうだ!

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November 18, 2005

第64話 闘病生活?(5:退院?)

 突然の入院だったので、本を数冊持ち込んだ以外は何の段取りも無かったので、退屈この上なく、日々時間との戦いだった。それでも夕方になると見舞いの人が訪れる。いちいち社外の人達には伝えていなかったので、日本人が見舞いに来ることは稀だったが、現地の人達は随分と見舞いに来てくれた。中には初めて会う人もいて、名刺を貰っても、後から顔が思い出せない人もいた。
 さて、5日ほどしてから、あまりに退屈なのと、早くうまいものが食いたい気持、それと、薬を飲んで寝ているだけなら、自宅でもいいんじゃないかという勝手な判断で、医者に退院を申し出た。但し、下痢の症状はその時点でも治まってはいない。
 医者は、決して1週間は会社に出て仕事をしてはいけない、毎日部屋で安静にしている、という条件で許可してくれた。
 やった!これでビールが飲める!異常な下痢が続いていても、そんなことはお構いなし。催したらトイレに行けばいい、くらいの気持で病院を出るとドライバーには行き先を来来軒、と告げた。まずは餃子とビールだ。ドライバーは一瞬ぽかんとしていたが、ミラー越しににやりと理解した。我ながら懲りない男だ。
 なんだかんだで長引いたが、それから1週間くらいで体調は持ち直し、以前の生活が戻ってきた。が、実はそのあと4ヶ月くらいでまた病院のご厄介になることに・・・

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November 17, 2005

第64話 闘病生活?(4:食事)

 私は数日間入院していた間にゲッソリと肉が落ちてしまった。点滴針を手の甲に刺され、身動きがとれなかったことによる運動不足からか、特に腿の筋肉が気のせいか随分と落ちてしまったようだ。
 もうひとつの原因は病院で出される給食だ。はっきり言って不味い。消化を良くするためにフィリピンライスがお粥になっている。これが熱ければまだいいのだが、すっかり冷めたお粥は正直食べられない。おかずもどちらかと言えば苦手なフィッシュソースで味が調えられている。初めての夕食では無理して半分くらい、息を殺すようにして食べたが、翌日からは見ただけで拒否反応。
 どうにか食べられたのは、朝食だ。朝食は毎朝決まってコッペパンとバナナ。本当言えばこの組合せだって私の好物ではない。が、何しろ昨日からまともに食っていないから腹ペコだ。ひとかけらも残さず食べた。日中から夜にかけては見舞いの人達が持ってきてくれるクッキーやらジュースが主食になった。それでも夜中には腹が減って目が覚める。そうすると自分に言い聞かせるのだ。「もうじき夜が明ける。そうすればあのコッペパンとバナナがやってくる。」やがて空が赤みを帯びてくると間もなく“待望の”朝食の時間だ。
 ところで、医者に聞かれた。
「バナナを食べているか?」
バナナはもともとは私の好物ではない。
「私はバナナはあまり好きではないが、フィリピンに来て2年間で2~3本食べた。」
「それは少なすぎる。カリウムが不足すると、こういう病気にかかりやすくなる。バナナを食べなさい。」
 以後、帰国してからもバナナは朝食の共となった。何たって安いし。

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November 16, 2005

第64話 闘病生活?(3:体温)

 ナースと言っても今度は病院のナースである。「白衣の天使」とは言うが、想像していたよりは彼女たちは事務的で、やることをやったらさっさと出て行く。その彼女たちでもある物を見ると、私の部屋で足止めされるのだ。携帯電話だ。今から5年前にはそれ自体はすでに普及していたが、その当時は私が使っていたPanasonicは彼女たちの憧れだったようだ。個室なのでケータイは部屋の中ではいつでも使えるから、テーブルの上に置きっぱなしになっていたが、彼女たちは体温を測りに来ると、いつも私のケータイを手にとってはウットリと眺めていたものだ。ウットリ眺めてもらいたいのはこっちの方なのだが。
 ところで、私は入院前から微熱が続いていた。だいたい37度を少し超えるくらいである。あるとき、体温計をチェックしたナースが
「thirty-seven… Ah… OK, ordinary.」ときた。
「No! It’s not ordinary for us Japanese! My average is bellow thirty six!」
と、食い下がったが、真剣に受け止めることなく、
「No problem! Are you joking?」
と言いながら部屋を出て行ってしまった。そう、フィリピン人は平均的に体温が高いのだ。平均は37度くらいだと聞いた。いくら日本人の平均は36度だと言っても取り合わなかった。 
 グローバル化した今、地球上の全ての民族の平均体温なるデータが絶対に必要である。さもないとおちおち入院も出来ぬ。

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November 15, 2005

第64話 闘病生活?(2:ナース)

 入院した部屋は個室で、広さはだいたいウォーターフロントの1室と同じくらい。トイレ・シャワー付だ。自分が患者であるという点を除けばホテルにいるのとあまり変わらない。但しホテルと違い窓は小さく、如何にも収監されていることを実感する。それにNHKワールドも見れないから、テレビは退屈この上ない。この2ヶ月くらい前に帰国した時に八重洲ブックセンターでドッサリ本を買い込んでおいたことがせめても、であった。
 それでもテレビは案外活躍した。勿論、見て楽しんだのは私ではない。そこまで頼んだつもりはないのだが、会社のナースが12時間交代で看病に付き添ってくれた。彼女達だって話題の接点がない私の横のソファーで12時間はさぞかし退屈であったろう。そこで活躍するのがテレビである。でもちょっと活躍しすぎ。彼女たちは本当に見飽きることなくテレビに釘付けだ。それはそれでいいのだが、ちょっと困った。夜、眠れない・・・。イヤホンは無いから、ズンチャカズンチャカと気になって。かといってテレビを消して真っ暗にしてしまうと、部屋の中は私とナースは二人きり・・・。彼女だって年は20ちょっとだし・・・、こうなると、何もしないのも失礼かと・・・。いやいや、いかんいかん、とグルグル思案しているうちに疲れ果ててて眠ってしまうのだった。
 何とも不埒な入院患者である。ところで、私はイビキや歯ぎしりは人並み以上である。彼女は眠れなかったことだろう。

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November 13, 2005

第64話 闘病生活?

 5年前のちょうど今頃、私はパーペチュアル・サッカーという病院のベッドに横たわっていた。定かな病名はついに聞かされなかった。アメーバではないが、医者は「バクテリアが体内に増殖して白血球が極端に少なくなっている」と言っていた。思い当たる原因と言えば数日前に食べた烏賊の刺身が怪しい。入院前数日間は目眩と微熱、そして当然ながら極度な下痢が続き、会社のドクターに症状を相談したら、即座に赤痢を疑われ、そのまま入院となった次第である。
 私は体力はないくせに意外と大病に患ったことがなく、セブに来るまで日本で入院した体験がなかった。初めての入院体験がフィリピンとなってしまった。赴任後もよく言われるような水にやられることもなく、風邪もひかず2年以上過ごしてきたのだが。
 まず、驚いたのは点滴の針を刺す場所だ。左手の甲の人差し指と中指の間あたりに太いやつをいきなりブスリとやられた。針を刺す直前に相当痛いことを想定して顔をしかめていたら、ナースが笑いながら「ノープロブレム」。さほどのことはなかったが、案外自由が利かない。
 早速、トイレやらシャワーやら、片手でどうすりゃいいんだろうと、これから何日に亘るか分からない闘病生活(ちょっと大袈裟)に思案を巡らしたのだった。

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November 11, 2005

第63話 フィリピン人の視力(2)

 かなり(15年くらい?)前に「ウォーリーを探せ」というものが流行ったのを覚えているだろうか。フィリピン人の視力という点で、もうひとつ付け加えておきたいのが識別能力だ。工場の現場でのスペックアウトを見つけるのは視力もさることながら、視覚的に見分ける能力が高いからではないかと思う。彼らならいとも簡単にウォーリーさんを見つけてしまうだろう。
 彼らのこの能力は、現地駐在日本人にとっては悩ましいものがある。どこにいても見つけられてしまうのだ。ここまで言えば、何が言いたいかお分かりの通りである。日曜日のシューマートやアヤラセンターなどは、地元の人達は買い物の目的がなくても他に行くところがないから、大勢やってくる。こんなところに彼女を連れてやってくれば間違いなく誰かに目撃される。そう、我々はウォーリーさんなのだ。彼らの高い識別能力の前ではサングラスをかけたくらいでは全く歯が立たない。そうなれば新幹線並みの口コミスピードで会社内でたちまち噂が広まってしまう。彼女を連れてショッピングセンターに行くことは“自殺行為”と言われ、どうしても連れて行かざるを得ない時は、開店後1時間が勝負と言われていた。またはガイサノカントリーモール(ガイサノマクタンは×)は比較的穴場だったようだ。

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November 09, 2005

第63話 フィリピン人の視力

 フィリピンではメガネをかけている人は少数派だ。眼鏡は日本よりは安いとは言え数千円はするわけだから、購買力の問題で使っていない人もいると思うが、事務所の中でも40人中3~4人くらいだった。工場のオペレータに至っては殆どゼロ。これは視力が良いことを条件に採用されているわけだから当然と言えば当然だが、そんな条件に合致した人達がゾロゾロ居るということだ。
 ゴルフ場のキャディもそうだ。キャディのLには申し訳ないが、私のような下手くそはどこへでもお構いナシに打ち込む。それでも彼はどんな林の中でも草むらの中でも、落下地点が正確に見えていて、一直線でボールに辿り着く。夕方薄暗くなった時でもそうだったから、暗い中でもよく見分けがつくようだ。
 暗くても見えるという点では、私の部門にいたJもその一人。彼は日本人が出入りしそうな夜のスポットに彼自身もよく出没していて、誰がどこに誰と居たか、といった情報に長けていた。彼によると、夜の暗がりでしかも真っ黒い窓ガラスの車中をも見通すことが出来るそうだ。
「ワタシ、キノウ、ヨル、ミスター○○ガ△△デ、キレイノ、オンナノヒト、クルマデ、イショニ、イルノ、ミマシタ。」
彼は片言とはいえ、かなり日本語を理解する。
「夜、車の中が見えるのか?」
「ハイ、ワタシ、ミエマス。」
お陰で同僚の秘密も随分と握ってしまった。私のことに関してはどうかって?当然飲ませ食わせで懐柔しておいたことは言うまでもない。

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November 08, 2005

第62話 これがフィリピンだったなら

 当ブログでは時事問題は扱わないことを旨としていたが、今日のJR山手線の件のニュースで考えさせられた。乗客たちがスケジュールを乱され怒る気持は理解できるが、もし同様なことがフィリピンで起きたなら、一般の市民はどんな反応を示しただろう。
 わざと悪意があってもたらされた結果なら、やはり非難を浴びたかもしれない。今日の件も管理不行き届きもあったかもしれないが、想定外の出来事だったかもしれない。
 今日ニュースで見たインタビューの場面では、殆どの乗客は勝ち誇ったようにJRに非難の言葉を浴びせていた。そうでない意見があったとしても、編集者がそれでは視聴者受けしないと判断しカットしてしまったのか。そもそも、4月のJR西日本の大惨事もそうだ。たとえ1分の遅延にも鬼の首を取ったようにクレームをつける世論が事件の背景にあったはずなのに、そのような論調は一切ない。
 最近の日本人の風潮として、自分に跳ね返りがないと判断すると、無遠慮に正論を振りかざす光景が目につく。もし、あなたが当事者の立場だったなら、自分が「こうすべき」と突き放した通りの行動を本当に最後まで成し遂げるのか、インタビューする者もそれくらい突っ込んで質問してもらいたいものだ。
 このような日本人の精神構造は最近のネット上の汚らしい匿名の書き込みと合い通じるものがある。
 前回ちょうど、フィリピン人の庇い合う精神を、経済活動上はネガティブなものとして取り上げたばかりで、手のひらを返すようだが、我々自身ももう少し失敗を犯した者への「溺れる犬を棒で叩く」根性は考え直した方がいい。

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November 06, 2005

第61話 かばい合う(2)

  彼女は事務所の中で働いていた時は現場で働く期間契約社員の勤怠管理を業務としていた。出勤状況や残業時間など細かい仕事を正確にこなしていた。しかしながら、製造現場では契約社員の代わりにやがて派遣社員を起用することにより、この部分の仕事量は激減し、よって彼女の仕事もなくなるはずであった。彼女もまた期間契約の社員なのである。さて、件の総務部長である。
「彼女は契約が終わったのに、何故会社にいるのだ?」
「彼女はとても優秀で、このまま正社員にすべきです。」
「そんなことは私は認めない。早く切らないと法律上問題になるだろう?」
「その通りです。もう彼女がここに来てから6ヶ月が経っています。法律上、今からは理由なくクビにはできません。」
 なんてこった。バレたらまずいと目立たないところに移動させ、おおっぴらに解雇できないタイミングまで隠し通していたわけだ。私にサイト内の放浪癖がなかったら、このまま気付くことはなかったに違いない。どうやら彼の部下の人事課長との企てと見た。優秀かどうかは別にして、ひとたび仲間となれば、お互いにとことん庇い合うのが彼らのメンタリティだ。一人一人を見れば彼らは本当に優しく、お人好しだが、仕事の中での価値観と個人の価値観との線引きはなかなか出来ないようだ。

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November 05, 2005

第61話 かばい合う 

 総務部長Tは直接本人に聞き取り調査をすることなく、該当部門の責任者に問いただしたようだ。まあ、組織だからそうかもしれない。
「彼は、たまたま落ちていた新聞を拾ったところをあなたに見られた、と言ってます。彼は日頃から仕事にも熱心だと、彼の上司も言っています。」
お互いをかばい合い、そして見逃してやった恩を売る、彼らの価値観の真骨頂である。間違いなく、不謹慎にも彼は製品箱に腰掛けて、新聞を広げていた。これは紛れもない事実だ。現場責任者は彼の言い分を丸呑みをするという取引をしたのだろう。
 ところで、件の総務部長もとんでもない事実を隠していた。
 そのころ、遅ればせながら現地ではコスト削減のため、間接部門でも目標を定め正社員を減らすという動きがあった。私の管轄部門でも数人のスタッフを減らさなくてはならない。正社員の何人かは製造現場に既に配置換えさせ、総務部門では穴埋めでテンポラリーに3ヶ月の契約社員(コントラクター)をを使うことになった。そして3ヶ月後にはソフトランディングで人員削減を達成するはずであった。
 ある時期から、コントラクターの女の子は姿を見せなくなった。契約期間が終わったからだろうと私は思い込んでいた。
 ところが、やがて2~3ヶ月経ってから、私はひょんなことから、外れにある警備室で彼女を見かけた。はて?なぜ彼女がここにいるのかな?会社の制服も着ているし・・・

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November 03, 2005

第60話 フィリピン人の仕事振り

 平均的な日本人が持っている印象としては、フィリピンの人達はキビキビとは働かず、どちらかと言えばルーズで怠惰なイメージを持っていると思う。平均的には外れているとは言えないが、少なくとも相応の学歴があり加工区の外資企業で働く彼らは仕事の処理能力や企画力は決して低くない。それでも日本人の仕事の感性と合わないのは、価値観の違いだと思う。何が重要で、何は後回し或いは適当でいいのか、このあたりのプライオリティが根本的に違うようだ。
 ジョブディスクリプションというものが曲者で、成し遂げて自分の成果に繋がることには全力を傾注するが、自分の成果としてアピールできないことについては、協力的とは言えない。それでも長年日系企業に勤めているマネージャクラスは、自分の守備範囲以外のことにも一生懸命取り組むと上司である日本人は高く評価してくれることを知っているから、そのようなスタイルにも合わせてくる。まあ、柔軟性があるということだろう。
 それと、お互いに仲間をかばいあう精神は仕事の中でも如何なく発揮される。日本でも役所で不祥事が発生すると、組織ぐるみで隠すというのは良くあることだが、“かわいそう”という感性からお互いを守るという精神は日本人の比ではない。こんなことがあった。
 私は時々、サイトの中をブラブラと散歩していたが、ある時、倉庫内で勤務時間内に製品の箱に腰掛けて新聞を読んでいる社員がいるのを見つけた。私が近寄ると、彼は慌てて新聞をくしゃっと畳み、その場を離れた。就業規則上どうなるのか、目撃したことを総務部長のTに伝えた。彼は、事情を聞いて、すぐに報告すると言った。
 さて、翌日T部長が私に報告した内容は・・・

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November 01, 2005

第59話 メイドの娘

 メイドの部屋には時おり家族や親戚がやってくる。給料は払わないが居候代代わりにメイドの仕事を手伝う娘たちも時々現れた。そんな中にメイドLの娘という15歳の女の子が暫くドミトリーに居候していた。
 その時、ダイニングルームで私はG♂氏とサンミゲルを飲みながら他愛のない話に花を咲かせていた。そんな我々の目の前をシャワーを浴びた後と思われる彼女がバスタオルを1枚体に巻きつけて通り過ぎて行った。15歳にもなれば恥じらいもあろう。小走りで通り過ぎていった。小柄ではあるが、スラッとスリムである。
 G♂氏は目が点になったのもつかの間、一転して顔をくしゃくしゃにさせた満面の笑みで
「○○さん、見ました!?なかなか可愛いじゃないですか!あの娘、将来性ありそうですよ!!。」
彼は夜の世界に堪能なだけあって、一瞬のうちに15歳の彼女の将来性を見抜いてしまったのだ。が、残念ながら?やがて彼女は勉強したいといって、ハイスクールに通い始めた。
今頃は22歳くらいのはず。果たしてG♂氏の見立ては当たっているのだろうか。

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