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December 30, 2005

第73話 6年前

 日系企業の単身赴任の駐在員たちは多くの場合、年末年始は日本に帰国する。が、各社1~2名ほど、万が一の出来事に備え“越冬隊員”として残すケースが多いのではないかと思う。
 私の場合は“運悪く”6年前にその任務が回ってきてしまった。6年前といえば、Y2Kと呼ばれる2000年問題のタイミングだ。ワクワクした気持でその瞬間を迎えるのでなく、問題発生しないことをひたすら祈り、緊張しながらその時を迎えるのである。その日は朝から最終点検や問題が起きた際のロールプレイなど、気が休まることなく夜を迎える。多くの計器類に時間のプログラムが含まれているから、どこで問題が起きるか分からないからだ。一応、全ての計器類の状況は2ヶ月くらい前から、チェックされていたので多分大丈夫だろうと見られてはいたが、油断は禁物だ。ローカル社員のうちマネージャクラスもほぼ全員徹夜で詰めている。
 “その瞬間”はあっけないくらい、あっという間に通り過ぎた。数分おきにチェック表に基づいた中間報告が届けられる。異常は見られないようだ。10分、20分と次第にマネージャ達も安堵の表情に変わっていった。それでも全てのチェックが終わるまで安心は出来ない。結局、作業が完了したのは朝8時をまわった頃だった。24時間ぶっ通しの仕事で太陽は黄色く見えるし、ドッと疲れが押し寄せてきて、帰路に着く車に乗り込んだと同時に眠り込んでしまった。
 ここ数十年、酒も飲まずヘトヘトになって新年を迎えたのは後にも先にもこのときだけである。

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December 29, 2005

第72話 地盤沈下?

 最近のフィリピンから見た日本の位置付けはどのように変わってきているのだろうか。例えば、フィリピンを訪れる人の数。今年10月までの統計ではやはり米国が断然の432万人、2番手の位置を長らく日本が占めていたが、ついに韓国が逆転し391万人。日本は346万人と既に大きく水を開けられている。それでも前年に対して比国を訪問する日本人の数自体は増えているのだが。韓国人の勢いが凄いということのようだ。
 ODAでもまだまだ日本からは無償援助と技術協力だけでも毎年100億円を超える資金協力がなされているが、韓国の攻勢もなかなかであるようだ。先日も幹線道路の着工計画に韓国の資金協力(借款)により1585キロの延長に着手する、との発表があったが、かなり積極的な食い込みに映る。尤もこの中でセブ州で342キロとあったが、一体セブ州のどこに300キロ以上の道路を作るのだろう?仮にあったとしても20年以内に完成する可能性は限りなくゼロに近く、大体において作った道路も数年ともたない。
 とはいえ、仮に話だけであったにせよ、話そのものに勢いがある。日本人にとってのフィリピンの位置付けは心もとない。
 先般の日本人の意識調査では中国と韓国に対する感情が“やっと”悪化してきたようだが、では日本人はどの国の人達と友好を深めたいと感じているのだろう。まだまだフィリピンという国を知る必要があるのではないか。ステレオタイプなこの国のイメージを変えるためにも、もっと多くの日本人が訪れても良さそうなものだ。

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December 26, 2005

第71話 深夜の鼓笛隊

 ズンチャカ、ドンドン♪、ズンチャカ、ドンドン♪
「おーい、今何時だよ~。・・・4時じゃねえか・・・」
私が住んでいたバニラドプレイスはASフォルトゥナstの近くである。どうやらこの通り沿いに鼓笛隊が通過中である。それにしても何でこんな時間に・・・勘弁してよ~。
 セブではシヌログが近くなると、鼓笛隊の練習にも熱がこもってくる。日中に道路を占領されるのも困るが、近隣住民としては寝静まった夜中に“練習”されるのは信じられないくらいの迷惑だ。音量とその持続時間から言って、明け方の暴走族のパオン、パオンよりも断然効果的だ。
 dragonflyさんのブログで怒りが爆発しているように、騒音に関するフィリピン人の感性は我々日本人とは相当異なる。そもそもあのウルサイ音楽は彼らには生活に溶け込んだ囀りのようなもので、騒音とは認識していないらしい。それに何より周囲への迷惑、という概念が乏しい。羨ましいくらいにどこまでもマイペースである。セブではシヌログを来月に控え、これからは騒音に悩まされる日々が続く。
 因みに先ほど通り過ぎていった鼓笛隊は、再び眠りについた頃、ご丁寧にもまた復路を演奏するに至り、今度はあまりの怒りで二度と眠りにつくことは出来なかった。

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December 24, 2005

第70話 役所の仕事振り(2)

 その日の午後を少し回った頃、Jから連絡があった。
「今日はビザをもらえませんでした。」
「何故だ?今日発行するという連絡があったから、そこまであなたは行ったのじゃないのか?」
「そうなんだけど窓口を閉められてしまいました。」
「どういうことだ?」
「さっき受付に来たら、きょうは今からクリスマスパーティをやるので、明日また来るようにって言われました。」
「そんな・・・」
さて、Jは近くの安宿に泊まり、翌朝事務所に向かった。窓口で再度受け取りの申し出をしたところ
「受取の期限を1日過ぎているので、ペナルティが発生した。2万4千ペソのペナルティを支払いなさい。」
これにはフィリピン人のJもびっくり仰天。受取日を指定され、その日に行ったら急に窓口を閉められ(それもクリスマスパーティをやるからという身勝手な理由で)、翌日来いと言われたので翌日行くと、期限を過ぎているので罰金を払え、と言われる。“何でもありのフィリピン”ではあるが、公の機関がそこまでするか!?

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December 23, 2005

第70話 役所の仕事振り

 この時期は、当たり前のようにどこでも業務が滞る。役所関係は特に顕著だ。言い方は悪いがこの時期はまともには仕事をしてくれない。
 さて、我々のビザであるが、PEZAの加工区ビザで申請ルートがちょっと違っていた。ツーリストビザで入国し、延長しながらPEZAのビザ取得を待つ、というもので、大体2ヶ月以内には正式なPEZAのビザを取得することが出来た。セブのイミグレでもPEZAビザのスタンプがあると、係官からの信用もあったようで、俺の娘はどこそこで働いているとか、聞かれもしないのに話しかけてくる。そんな有難いビザだった。
 ビザの取得は申請はセブで出来たが、受け取りはマニラの事務所まで足を運ばなければならなかった(最近はどうなっているか分からないが)。一応はマニラの事務所から受理されたとの連絡をもらって行くので、無駄足にはならないはずだが。
 10月に赴任してきた駐在員のビザ申請も2ヶ月が経ち、ソロソロという頃にようやく、受け取りに来るように、と連絡があった。総務のベテラン女性Jはいつものように段取りをして受け取りの為マニラに向かった。朝一番の飛行機に乗り、午後一番に窓口に行き、その日のうちには戻ってくる予定であった・・・

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December 21, 2005

第69話 クリスマスパーティ(3)

 ものぐさな私にとってプレゼントを用意するためのもうひとつ面倒なことはラッピングである。日本と違って、買った店で綺麗に包んでリボンがけをしてくれるわけではないから、自分でやるか、誰かに頼まなければならない。適当な包装紙があれば、ラッピングは自分でも出来るがリボンがけは自信がない。実は20年以上前に八重洲名店街にあるカバンやでアルバイトしていたことがあり、ラッピングには自信があった。それでも綺麗にリボンをつけるのはその当時も下手くそでうまく結べなかった。
 そこでフィリピン独特の分業社会に委ねることとなる。これがまた面倒だった。例えばシューマートでプレゼントの品物を買ったら、その足でナショナルブックセンターに行き、包装紙を必要な枚数だけ買う。そうしたらそれをラッピングのサービスカウンターらしき処に行き、ラッピングをやってもらう訳だが、シーズンともなると結構待たされる。たかが買った物のラッピングで何でこんなに時間をツブさにゃならんのだ、とブツブツ言いながら順番を待つ。まあ、こんなことも楽しみながらやっていられるよう、まだまだ精進しなくては、と思うのであった。

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December 20, 2005

第69話 クリスマスパーティ(2)

 私は、フィリピンのデパートやスーパーで食料品を除いてあまりモノを買ったことがない。ショッピングが嫌いな訳ではない。SMやアヤラにはしょっちゅう行っていた。買わなければならない物が特にないことがひとつ。もうひとつは買いたいと思う物がないことである。
 このことは、会社のクリスマスパーティの時期には大いに私を悩ませた。クリスマスパーティではプレゼント交換がよく行われる。出席する為には何か持っていかなければならないのだ。金額は大体100ペソ~200ペソのものをみんなは用意するらしい。さて、何を用意したらいいのだろう。
 デパートの中をグルグル歩き回るのだが、少なくとも自分が欲しいと思うモノがないのだ。悪い癖で、自分が要らないものは、他の人も必要としていないはずだと決め付けてしまう。そうなると買う気にもならない。一緒にいる同僚はこんなもんでいいだろうと、テキパキと決めているのに、自分は決められない。「どうせ自分が使うんじゃないんだから、何でもいいんじゃないの」という同僚。
 結局、何を買ったのか、今では全く覚えていないような、いい加減なクリスマスプレゼントだった。くじ引きで私のプレゼントに当たってしまった人には本当に申し訳ない・・・

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December 18, 2005

第69話 クリスマスパーティ

 フィリピンでクリスマスと言えば至るところでパーティだ。会社の中でもいろいろな部署でパーティをやるから、駐在員は毎晩のように引っ張りだこだ。当然、ドネイションはそれなりに期待されてのことである。
 ことパーティに関して言えば、フィリピンスタイルはエンターテイメントという面からは、我々日本人の暮れのの忘年会とは雲泥の差がある。我々の忘年会や新年会では場所とか雰囲気とか料理とかに注意が払われ、幹事は誰からも文句を言われないことがとりあえずの目標値である。フィリピンではどれだけの趣向が凝らされたか、その趣向をみんなが楽しんだかどうかで評価が決まる。だから、幹事は仕事中でもこの時期には頭の中はそっちに行ってしまっている。
 であるから、出し物は我々が見ていてもとても面白い。ゲームには我々も参加させられるが、笑いながら参加できる。以前、登場していただいたG♂氏はこんなことを言っていた。
「日本の椅子取りゲームじゃぁないけど、僕ががサンミゲル・ボトルを股に挟んで立っている周りを女の子が音楽に合わせてグルグル回りながら踊っているんですよ。そして曲が止まるとドバッと女の子達が突進してきて、僕のソレを争奪するのは嬉しいやら恥ずかしいやら。日本人の女の子とじゃ、こうアッケラカンとはいかないですよね。バナナ・バージョンもやりましたよ。」
 これだけ楽しませてもらえれば、2000ペソのドネイションじゃ安いくらいだ。

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December 16, 2005

第68話 13ヶ月給与

 クリスマスの時期になると色々なことを思い出すが、日本にはないものでこの時期の為の特別な給与があった。
フィリピンの給与体系の中にボーナスというものは一般的には無いのが普通だが(業績によって支払う会社もあるが)、それに替わるものとして13ヶ月給与というものがある。クリスマスの時期に合わせて従業員に支払われるもので、法的にも強制されているものだ。法律では毎年12月24日までに支払われなければならない、とまで規定されていて、私がいた会社では15日に支払う給与と併せて支払っていた。
 クリスマスの時期の物入りは理解できるとして、なぜ雇用主がそのための各家庭の費用を負担しなければならないのか、なかなか腑に落ちなかったが、考えても見れば日本にも訳のわからない給与体系がある。家族手当などは本人の仕事の成果と関係なく支払われる。大体において、会社が社員に対して家族を増やしてくれなどと頼んでいるわけでもないのに、多くの社員は家族が多く生活が苦しいのだから、と言って当然のように受け取っている。そう考えれば、フィリピンの人達にしてみれば13ヶ月給与というのは何の不思議も無い当たり前のものなのだろう。(残念ながら、われわれ駐在員は13ヶ月給与の支給の対象ではなかった)

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December 14, 2005

第67話 ドネイション(4:地域の子供たち)

 会社では毎年この時期に、マクタン島内の小学校の子供たちを招待して、クリスマスパーティを催していた。毎年二つの小学校を順繰りに招き、総務の社員や現地社員の幹部が中心となって、ゲームやちょっとした食事でひと時を過ごした。日本人駐在員は殆ど興味を示さなかったが、立場もあって私は毎年彼らのホスト役を担っていた。
 初めてのときは何でこんなパーティで子供たちが楽しんでいるのか理解が及ばなかったが、二度目からはこの子供たちと時間を過ごすことが楽しいと感じられるようになった。どれだけ理解してくれたか分からないが、私のスピーチをみんながじっと聞いている。子供たちが相手とはいえ、いい加減なことは言えないと思った。
あるとき気付いたのだが、学校によって子供たちの身なりが違うことを目の当たりにした。片方の生徒たちは全員がそれなりに小奇麗な服装で、靴と靴下を履いているのに対して、もう一方はといえばTシャツ・短パン・ゴム草履といったお馴染みの格好である。学校によって裕福な子供が通っているのか、そうでない子供のエリアなのか明らかに違うようなのだ。
 それでも、子供たちは屈託なくゲームに興じている。柄にもなくこの子達の幸せを願ってしまうのだった。最後にプレゼントを一人一人に私が渡す。大したものではない。文具類や通学用のかばんなど一人分200ペソくらいの品だ。それでも子供たちはうれしそうに、そして大事そうに受け取っていく。受け取るときに覚えたての言葉で「ドモアリガト」と言って感謝を伝える子供もいた。
 彼らと過ごしたひと時は、今でも懐かしい大切な思い出だ。

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December 12, 2005

第67話 ドネイション(3:社員へのチップ)

 この時期は、会社の中で自分の周囲で働いてくれている社員たちもクリスマスのチップを期待している。私の場合は6人ほどに300ペソずつ紙に包んで渡していた。総務で主に日本人の細かな面倒を見ている秘書の女子社員JとL、来客時のお茶を入れてくれるC、そしてドライバー3人だ。
毎年貰っているから、この時期の臨時収入は彼らのソロバン勘定には既に織り込み済みだ。いつも12月20日前後には渡していた。
 この日もひとりづつ私の机に呼んで、手渡した。ドライバーのJだけは所用で市内に使いに出されていていなかったので、彼にはあとで渡すことにした。が、モノ忘れを得意とする私はそれっきりそのことは頭から消え去っていた。
 夕方にはJが何故か私の目の前を行ったり来たりしている。そして秘書のLに何かを聞いている。そうこうしているうちに、Jは私の机に来て、どうでもいいような報告をしに来た。なにを言ってきたか覚えていないが、「猫が塀の上を歩いてました」くらいの中身のない報告だった。シビレを切らした秘書のLが小さな声で「彼はまだ貰っていません」と囁いた。思わず、彼の顔を見た。彼はバツが悪そうにニコニコして立っていた。
 300ペソといえば彼らには小さな金額ではない。Jは受け取るとホッとしたように去っていった。それ以降Jのサービスぶりがグンとアップしたのは、彼なりの感謝の気持なのだろう。

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December 10, 2005

第67話 ドネイション(2:ご利益)

 セシリアさんのブログで紹介されているように、事業を営んでいるところにはこの時期には色々な“お願い“が来るものらしい。尤も会社側も見返りが期待できるところにはむしろ積極的に“寄付行為”を行うものだ。
 例えば空港の入国審査と税関。ここに覚えめでたければ、空港に到着した際に、イミグレの列に並ばずに横にある小部屋でスタンプを押してもらい、サッサと通過できる。私も当時は職務柄、顔見知りも事務所の中にいたので、この列に並んでいると、こっちにおいでと手招きされたりしたこともあったが、いつも手を振って断ってそのまま列に並んでいた。どうせ手荷物の引取りで待たされるわけだし、そのような流儀は個人的にはあまり好きではなかった。
 ドネイションとしては意外なところでは、ゴルフ場だ。接待とかで無理を聞いてもらわなければならないこともあり、セブカントリークラブの関係者には、誰にいくら、という具合に細かくプレゼントをしていた。事務所にいる人たちは勿論、キャディマスターやスターターにもクリスマスチップを弾んだ。期待した効果は・・・? 確かにあった。

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December 08, 2005

第67話 ドネイション

 クリスマスシーズンのこの時期は、あちらこちらから援助を求められる時期だ。絶対に応じなければならない、というものではないが、応分のの地域貢献もせねば、とも思う。しかし、どこの会社も慎重だ。“蟻の一穴”ではないが、どこかの要望に応じれば、次々にやってくるのではないか、という一種の恐怖心を感じているからだ。
 地域からの要望で一番多かったのは、バスケットボールのボールを贈って欲しいというものだったと記憶している。この寄付なら金額も然程とも思われなかったが、1箇所だけに贈るだけでは済まない。どのエリアまで対象とするかを考えると、やはり際限が無い。バランガイの数なら山ほどあるのだ。申し訳ないがやはり見送らざるを得なかった。
 ふざけた連中もアプローチしてきた。地元の弁護士たちのサークルでテニスコートに夜間用の照明をつけたいので援助して欲しい、というものだった。最初はFAXで要望書を送り付けてきた。このようなお願いをFAXでよこしてくる感性は理解できず無視していたら、数日して風采の上がらない弁護士が3人でやってきた。会社として関わりのある弁護士ではなかった。悪行三昧で金儲けをしている彼らに追い銭をくれてやるほど我々は酔狂ではない。丁重にお断りした。

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December 07, 2005

第67話 ジェラシー(2)

 怖いのは家の奥さんだけではない。カラオケのお姉さんたちもスポンサーの繋ぎ止めには必死だ。同じカラオケに何度も行けば、義理もあってだんだんと同じ娘を指名するようになってくるものだ。そうすると他に目ぼしい女の子を見つけても、その娘を差し置いて別の娘を指名しにくくなるものが人情。店のチーママもあなたはこの娘でしょ、と何も言わずともいつもの娘を連れてくる。
 チャンス!今日はいつもの娘がいない!このときとばかりに予ねて目をつけていた他の娘を指名。さて、このまま乗り換えができないものかと不埒な企みが頭をよぎる。きっと何かの理由で暫く田舎にでも帰っているなら今がチャンス。この状況が2~3週間ほど続いた。もはやパートナーは滞りなく交替したと思ったその頃、以前の娘が舞い戻っていた。
 チラッと気にはなったが、もういいんじゃないかと新しい方のパートナーを指名。部屋で歌っていたところに元パートナーが乗り込んできたのだ。私に文句を言いに来たのかと思ったらそうではなかった。新パートナーに向かって物凄い剣幕で捲くし立てている。ビサヤ語だからこっちは何が何だかサッパリ解らない。新パートナーも黙ってはいずに反撃している。咄嗟の出来事で、どう仲裁したらいいのかもわからず、こちらもなすすべが無い。刃物が出てこなくてよかった、と思うのが精一杯だった。いやー凄かった・・・

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December 05, 2005

第66話 ジェラシー

セシリアさんの日記で書かれている“妻の嫉妬”については、なるほど、と思わせるものがある。私が勤務していた頃の部下のマネージャでとても“かわいそう”な男性がいた。彼のポケットにはいつも僅かな小銭しか入っていない。彼曰く「妻はその日の小遣いとして毎日50ペソづつ渡す」そうである。会社のキャンティーンでのランチとソフトドリンク、スナックでちょうどなくなる計算だ。
フィリピンの妻たちは、夫の浮気には常に神経を尖らせている。カネをまとめて渡せば浮気に走ると、真剣に疑っているようだ。その結果が小出しの“1日50ペソ”と言うことなのだろう。それだけフィリピン人の男性には浮気者のパロパロが多い、ということの裏返しでもある。私の部署のLという係長がある日突然消息不明になり、自然と解雇となった。原因は浮気が妻にバレ、奥さんに家から追い出されたそうだ。恐るべしフィリピンの妻たち!それでも、加工区の近くの一杯飲み屋では、勤め帰りにテレビのバスケットボールの試合を肴にサンミゲルをやっている連中を結構見かけるから“理解ある妻”もいるのだろう。
件のマネージャに「日本では暮れになると、同僚と泊りがけで忘年会をやる習慣がある」と言ったら、「そんなことを妻が許してくれるのか?」としきりに感心していた。フィリピンではビジネストリップは別にして、同僚と泊りがけで旅行というのはあり得ないことらしい。

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December 03, 2005

第65話 リスク感度(2)

 身の回りの危険と言う点では、ありとあらゆるところにあった。クルマを運転していると、いきなり目の前に大きな穴が開いていたり、というのもそのひとつ。昼間なら注意して運転すれば気がつくが、夜にもなればそうもいかない。日本なら工事中の穴は厳重に囲い、照明もついているので、事故に繋がることはないが、フィリピンではそのような造作は施されていないから、よほど慎重にスピードを落として運転していないと、気付くのが遅れてしまう。
 工場のサイト内でも作業者が瀕死の重傷を負ったことがあった。ある建屋の屋根の補修をしていた外注の作業者が振り上げた工具がすぐ上を通っていた電線に当たってしまったのだ。作業者は即座に気絶し意識不明の重態に陥った。幸い、一命は取り止め、最悪の事態には到らずに済んだのだが。事故が起きて初めて気がついたのだが、建物の上2メートルくらいのところに加工区内に電気を供給するケーブルが懸かっていた。日頃思いの至らないところに危険のタネはゴロゴロあるということだ。日本国内なら、このような労働災害があれば労働基準監督署がやってきて、場合によっては操業停止ということもありえるが、フィリピンではそのような事態にはならない。気の毒なことだが、この作業者への補償も特になく、見舞金として、1万ペソを渡しただけだった。

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December 01, 2005

第65話 リスク感度

昨日のNNAの記事にこんなのがあった。

ケソン市議会はこのほど、ガソリンスタンドで給油中に発生する事故を防ぐための安全規定に関する条例を承認した。この中には◇喫煙◇携帯電話の使用◇アイドリング◇規定外のプラスチック容器への燃料補給――の禁止がうたわれている。

 私も車の運転は自分でやっていたので、ガソリンスタンドにはしょっちゅう行ったが、スタンドの給油中に近くでタバコを吸っている人は何人も見た。さすがに給油口の近くではないが、2~3メートルの距離である。そしてそのまま足元に捨てて踏みつける。火の消え方が不十分だったらどうするんだ、などど思ってはいたが、何事も起きないせいか、だんだん気にもしなくなった。
 大体において、リスクに対する感度は日本人の感性とはかなり違う。建築現場の足場も頼りなさそうなヤシの木を組んだものだし、その上を人間業とは思えないくらい軽やかに動き回っている。こんなので落ちたりしないのだろうか。作業者のいでたちもそうだ。ヘルメットはかぶっているが、足元を見ればゴム草履。
 バスやハイヤーに乗れば、もっと恐ろしい目に遭う。カーブでもお構いナシに反対車線に出て、先行車を追い越してゆく。念仏を唱えずには乗ってはいられない。
 彼らから見れば耐震強度問題で大揺れの日本社会は相当異質に見えるはずだ。

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