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March 30, 2011

第404話 国境超え

 今日はまたバスの旅。朝は厭でも早起きをさせられる。なぜならボスニアは人口の半分はモスレム。イエメンでも毎朝聞かされたアザーンがここでもあるからだ。昨夜は早いうちからコックリ眠ってしまったから、まあちょうどいい。

 外に出たがやはり寒い。東京の2月中旬くらいの寒さだ。昨日歩かなかった新市街を歩く。サラエボでも見かけた日の丸ペイントのバスはここの方が多い。無償の現物寄付と思うが、こういうものを見ると日本人であることを柄にもなく誇らしく思う。

 宿で朝食の際、親切なオーナーは薪ストーブにこれでもかというくらい薪を入れていた。パンにつけるパテは昨年スペインで食べたものと味が違う。オーナーは鶏肉のペーストだと言っていた。そりゃここではポークのペーストは出せんわな。とても美味しい、と言ったらオーナー、痛く喜び、そこにあるもの全部持っていっていいよ、だと。5個ほど失敬したが、これは明日以降ちょっと役に立った。

 さてバスターミナルから今日はクロアチアのドゥブロブニクへ移動だ。タバコの煙でヒジョーに煙たいターミナルでチケットを買い、30分定刻より遅れてやって来た2階建バスはガラガラ。オフシーズンとは言え、これでやっていけるのかな?

 1時間ほどでクロアチアとの国境に到着。ここで書類審査となり、これでもか、というくらい太ったおばちゃんが乗り込んできて、無愛想にパスポートを出せという。彼女はこちらに一瞥をくれただけで、スタンプを押した。そのスタンプのインクが劣悪なのか、パスポートのそのページ全体が黒く滲んでしまった。Photo

 実を言うと、陸路で国境を超えるというのは初めての経験で、多少は緊張したつもりだったが、あっけなく手続きは終わり、まるで高速道路の料金所を通過するみたいにバスはいともたやすくゲートを通過した。さあ、ここからはクロアチアだ。

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March 28, 2011

第403話 モスタル(2)

 モスタルはスターリ・モストという歴史的なアーチ型の橋を中心とした町が世界遺産になっている。自分は見ていなかったが、NHKでも紹介されたことがあるらしい。スターリ・モストはボスニア紛争の際にクロアチア側によってボスニア人の補給路を断つために爆破されたそうだが、地元の人達の努力で元の橋に復元されたとのこと。以前からのフェスタである橋から川への飛込み競技も夏には行われているらしい。Photo

 橋もさることながら、水路が縦横に張り巡らされ、こういうものは生活感があって私の好む風情だ。旧市街は通路が石畳になっているが、これはちょっとわざとらしい。しかも歩きにくい。橋の近くはクロアチア人側もモスレム側も土産物の小屋が並ぶが、この寒い観光客の来ない時期は閉め切っていて寒々しい。

 夕方も近づき、スターリ・モストはライトアップされているが、観光客の姿はほとんど見られず、記念写真を撮る姿もほとんど見られない。っていうか写真を撮っているのは自分だけ。さあさあ飯だ、ビール、ビール。

 小さな町だが、レストランはあちこちにある。が、どこもガラガラですいている。客が全くいないレストランってなかなか入りづらいものであるが、ビールやワインがあって何か食えるならどこでもいい、という思いのままに近くのレストランへ。一応モスレム側のレストランだから羊のケバブを頼んだ。羊のケバブは3年前にイエメンの道端で食べたものも美味しかったし、ロシアのウラジオストクのバザールのものも良かった。ので、期待したのだが…。肉はパサパサで堅く、この店で初めて羊ケバブを食ったなら、間違いなく金輪際羊ケバブは食わないと心に誓っただろう。どうやらこの店は、如何にも人の良さそうな店主のキャラでかろうじて成立している。Photo_2 「どうだ、ポール・ニューマンみたいだろ?」と言っていたが、どうカナ…?

 部屋に戻って、窓から山の斜面にへばり付く人家の灯りを眺めながら、日本酒をちびちびやっているうちにストンと眠ってしまったようだ。

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March 24, 2011

第402話 モスタル

 寒々しい空の中、バスは南へ向かう。丘陵地帯の緩く登っては下り、集落を見てまた登りにかかる。そんなことを何度か繰り返し、いい加減飽きてきた頃に小さな街の中でバスは停まり小休止。この小休止がクセもので、バスは頃合いを見て、中の乗客を確認することもなく発車してしまう。のんびりとトイレで瞑想に耽っていたら、間違いなく置いて行かれる。観光バスじゃないんだから、まあ当然か。

 やがて長いトンネルを抜けると、俄然景色が変わってきた。さっきまでの雪景色はすっかり消えて空も青みを帯びてきた。サラエボの運転手が「モスタルはいいぞ」と言っていた意味が理解できた瞬間だった。山岳風景もいい。眠気を誘うような丘陵地帯でなく、アルペン的なメリハリのある山容の間の峡谷をバスは走る。これでこそジナルアルプス山脈のバスの旅だ。缶ビールを買っていなかったことを後悔したが、あの寒さの中ではビールを買うなんてことは、これっぽっちも考えなかった。

 やがてまたハチの巣だらけの建物が増えてきて、モスタルの市街地へと進んでゆく。もうハチの巣は見ても何とも思わなくなっていた。モスタルのバスターミナルではソベ(プライベートルーム)の客引きがワンサカいるはずだ。

 が、いなかった…。いるのは例の子供たちばかり。シーズンオフだからなのかな?こりゃ困った。しかしここでウロウロしていると子供たちに囲まれてしまいそうだ。で、とにかく歩きだす。確か、川の手前側(モスレム側)にいくつかB&Bがあったはずだ、と、どこかに書かれていた記事を思い出し、そちらに向かう。小さな町だから、道は大体見当がついた。5分くらい歩くと1軒みつかったsign03 が、近づいてみるとどう見ても普通の家でしかも鉄の門に鍵がかかっている。sweat01 小さな張り紙を見つけた。何やら“用がある人は・・・・・・に電話してくれ”と書いてあった。ゴソゴソ携帯を取り出して、その番号をポチポチ押していると、通りがかりの人から声を掛られた。

「ソベを探しているのかい?」

「そうだけど…」

「どうぞ、入ってくれ」

と言いながら彼はその鉄の扉の鍵を回した。

「あなた、ここのオーナー?」

「そうだよ サラエボからかい?」Photo 彼は部屋を案内しながら、1泊朝食付きで€34、明日ドゥブロブニクに向かうなら、バスは10:30だよ、と必要なことは全て話した。予算よりちょっと高いが、それより野宿にならなかっただけでも有難かった。部屋は2部屋使えるし、窓からの景色も気に入った。まだ3時前だから、とにかく外に出よう。小さな町だから夕方までにひと回りできそうだ。(写真は宿の向かい側のハチの巣の家)

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March 22, 2011

第401話 バスターミナル

 サラエボの空はこれ以上ないくらい灰色で寒い。ガソリンスタンドの温度表示は日中なのに-3℃。大体において、3月だというのに、こんな寒さは全く想定していなかった。早々に荷物をまとめ宿を出る。出る前にモスタル行きのバスの時間をホテルの女性に尋ねた。以前調べたネット上の記事では11:00となっていたが、彼女は親切にもバスターミナルに電話をかけてくれた。11:30と変わっていた。

 スナイパー通り(厭な名前の通りだ)を西に向かうタクシーを拾った。トラムに乗った方が安いが(60円くらい)、行き先を間違えると厄介なことになりそうだったので。通り沿いの古い建物は例外なく全て銃弾の穴だらけ、という無残な姿を今でも見せつけている。すれ違うトラムには時々びっくりするくらい美人の運転手を発見したりするが、どう見ても穴だらけのビルとあまりにも対照的でアンバランスだ。バシチャルシアから連邦側バスターミナルまでは5分ほどで着いた(約300円)。バスターミナルは今もセルビア人が使うバスとクロアチア人、モスリムの人達が使うバスとでステーションもはっきり分かれている。微妙なバランスの上にやっと保たれている平和というのは何とも危うい。Photo

 旅行シーズンとはとても言えない時期なので、ターミナルはかなりすいている。チケットも並ぶことなく窓口で購入できた(1,100円くらい)。ターミナルの建物の中も寒い。暖房などあろうはずもなく、誰もが暗い表情で背中を丸めている。物乞いの女の子が入ってきた。まず辺りをグルッと見渡す。彼女なりにカネを貰えそうな人を嗅ぎ分けている訳だ。全くお人好し丸出しの東洋人を見逃すはずもない。やはり、というべきか、真っ先に自分のところにやってきた。チケットを買ったばかりで、釣り銭の1マルカのコイン2枚が手の中にあることも女の子は知っていたようだった。こりゃ出すしかないでしょ。1マルカだけ渡した。すると彼女は出口に向かった。なんと、そこには父親と思われる男性が立っていて、彼女はそのコインを渡している。あの子はいずれ大人になったときでも、今やっていることを忘れないだろう。ヒジョーに暗い気分でバスを待つ。think

 

 

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March 17, 2011

第400話 南リアス線

 災害の話題の主軸はすっかり原子力発電所の方に移ってしまった感があるが、津波被害の方も全貌も明らかでなく、無事だった方々も全く安心できる状況でなく、しかもその後の復興にしても容易ならざることは誰の目にも明らか…。

 昨年の夏にこの辺りをうろついていた。一関から大船渡線で気仙沼、陸前高田を通り、大船渡の盛から南リアス線に乗り換えた。のどかな海岸線を走る列車は最近は観光客も多く、時折広がる海岸線の景色に誰もが歓声を上げていた。北リアス線はトンネルが多かったが、暗くなると銀河鉄道のイメージが広がり、目の前にジョバンニとカルパネルラがいるような錯覚さえ覚えた。

 車内では地元のおばちゃんたちが、ホタテの浜干やらおにぎりなどを売っていた。どれも非常に安く、美味しかった。だからビールも進んだ。始発駅では駅の方々が総出で出発する列車に手を振っていた。乗客も声をあげて「行ってきまーす」と返していた。

 ひょっとしたら、あの駅舎はもうないのか。手を振っていた駅の人達は今も無事なのか。ホタテを売っていたあのおばちゃんたちは今も元気でいるのだろうか。何だか、あの時のスローな旅すべてが、銀河鉄道のようにフィクションの物語のようだ。そしてジョバンニがうたた寝から目覚めたときのような出来事がやはりそこにあった。

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March 12, 2011

第399話 ヨーロッパの火薬庫(2)

 ホテルは小さいながらも小ざっぱり。ただし困ったことがひとつあった。瞬間停電がやたら頻繁なのである。特に困ったのがシャワーを浴びてる時だ。照明が落ちるのは我慢できるとしてお湯が突然冷水になるというのは如何なものか。石鹸だらけの体じゃ途中で止めることもできず、ひたすら修行僧のように冷水を浴びるしかない。

 サラエボの滞在時間は短いので、朝食もそこそこに外に出る。途中の郵便局で例のコンベルティブリナ・マルカをいくらか入手する。バシチャルシアは人気のオールドタウンだが、時間も時間だし、閑散として何だか侘しい感じ。やがてミリヤッカ川の畔に出る。この川の畔は遊歩道になっていて、なかなかいい雰囲気。積っている雪もちょうどいいアクセントだし、周囲の建物ともよく調和している。

 さて、サラエボでは必ずここには来ようと思っていた橋にやってきた。歴史好きな人なら誰でも知っている“サラエボ事件”の現場となった場所である。厳密には橋の手前で事件は起きたそうだが、第一次世界大戦はここから始まった、と言われるラテン橋だ。多分その後に補修などもされただろうが、思っていたより小さい。それにしても、これだけ歴史的な場所のはずなのに日常使いの橋のせいか渡る人は当たり前のようにスタスタ通り過ぎてゆく。クソ寒い中、橋の途中で立ち止まって感慨に耽っている酔狂な暇人はどうやら自分だけのようである。Photo

 青空市場に向かう。再びバシチャルシアを通るが、やはり開いている店は疎らだ。どうやらすっかり観光地化したこのオールドタウンはシーズンオフの今頃は商売にならないから開けないのだろう。物乞いの子供が時々くっついてくる。寒い中、路上に段ボールを敷いて座って大声で歌を歌っている男の子の姿を見ると、何とも言えない気分になる。しゃがんでコインを数枚置いた。ボスニアはまだまだ貧しい。

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March 10, 2011

第399話 ヨーロッパの火薬庫

 バルカン半島と聞けば多くの人は何か混沌とした掴みどころのないイメージを持っているのではないだろうか。モザイク国家とかバルカン政治家(常に状況に応じて複数の勢力の中を渡り歩く政治家)とか独特な言葉で形容されることの多い、そして以前から紛争の多い地域だ。

 サラエボに到着したのは夜9時過ぎだった。空港には両替がなく、ユーロはあるものの現地通貨は持っていない。よってバスには乗れず、タクシーしかない。因みにここボスニア・ヘルツェゴビナの現地通貨はコンベルティブリナ・マルカというやたら長ったらしい舌を噛みそうなネーミングであり、ユーザーフレンドリーとは言い難い通貨名。

 タクシー乗り場はあるものの、並ぶという習慣はないらしく、そのあたりはフィリピンや中国と似てなくもない。それにしても3月だというのに雪も降っていて、どの車も屋根に10センチ以上の綿布団を乗せたまま走っている。やっと捕まえたタクシー。運転手の英語力は基本単語を知っているという程度だから、行き先はメモを書いて見せた。

 何を言っているのかわからないが、最初は中国人かと聞かれた。ヤパンだと言うと、俄かに愛想が良くなり陽気に喋り出した(この国では何故か多くの中国人がいて、素行が悪く評判が悪いらしい)。明日はどこへ行くのだと聞くので「モスタルだ」と答えると、「そうか、モスタルか、それはいい。ここは寒いがモスタルは暖かい。モスタル、そりゃいい。」みたいなことを連発して私の肩をポンポン叩く。

 そうこうしているうちに安ホテル(朝食つき35ユーロ)に着いた。道路はツルンツルンの坂道で滑りやすく、運転手が鞄を入口まで運んでくれた。15ユーロだという。5ユーロ紙幣がなく、20ユーロを渡すと、彼は釣り銭のコインをよこした。

 さて、部屋に入って先ほどのコインを見た。何と!5ユーロだと思っていたら、5コンベルティブリナ・マルカのコインだった。確かにユーロのコインと大きさも似ているが、やられた!あの人の好さそうな運転手がわざと、とは思いたくないが、普段使っている自国通貨と間違えるとも思えない。うっかり間違えたのか、知ってやったのか、それは今も分らない。Photo

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