July 12, 2008
日雇い派遣の例の会社の倒産以来、派遣会社の利益の内訳がつまびらかにされているが、件の会社の直接労務費を除いたマージンが35%というのはかなり高いマージン率だ。これが25%くらいになってくると、かなり経営は苦しくなる。意外と法定福利費の負担は重く、概ね10%近い。だから25%程度のマージン率で仕事を取ろうとすると、法廷福利部分を誤魔化すとかでもしない限り、会社としてはかなり厳しい。そういう面では日雇いは社会保険への加入もしていないだろうから、やはりボロ儲けだ。しかも今日明日のカネに困っている人は低賃金でも飛びつかざるを得ない。
日雇いではないが、フィリピンも作業者の派遣が盛んだ。私が関わっていた頃はまさにその緒についた時期で、合法か非合法化のグレーゾーンの中での導入だった。法律の規程を読めばどちらかと言えばグレーより黒っぽかった。法律の趣旨は農場などで仕事の繁忙期がはっきりしている業種のみ派遣が可能、との解釈と読み取れ、通常の製造業は想定されていないようだった。それでも我々は仕事の受注量の波が大きいことを理由に拡大解釈して導入に踏み切った。他の日系企業は「本当に大丈夫?」という目で暫く眺めていたようだ。
フィリピンでは日本と違い、派遣会社でも広告を打たなくても、応募者が殺到する。仕事が無い国だから当然だ。しかも作業者に関しては完全な買い手市場。常に最低賃金に給料は張り付いている。日本と違い、作業者へのケアなどないから派遣会社の管理者も非常に少ない。数千人派遣している派遣会社に行っても社員は数十名位しかいない。だからマージン率も低く、15%くらいだったと記憶している。問題は6ヶ月継続して使うと、その人を正社員にしなければならないので、契約期間は5ヶ月だった。習熟した頃に去ってゆく、というのがネック。
一方、我が国では日雇い派遣禁止、という方針が打ち出されているようだが、そうすることでどんなリバウンドがあるのか、政治家の思いつきとは、いつもそんな感じだが、あまり検討していないように見える。
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May 16, 2008
moimoiさんのブログではラジオ体操を通してのウォッチングが語られていて、なるほど、と思った。
フィリピンの人たちは例外はあるものの時間にルーズな人が多いことは否めない。始業時間でもそうだ。特に管理部門は製造現場と違って全員が一斉に動きを始めるということがない。だから、朝、始業時に全員が席にいなくても、特に不思議な光景ではない。どこかで何かの仕事をやっているはずだ、と善意に解釈すれば、である。
どうも怪しい。本当に定時に全員が来ているのか?総務部長のTに聞いても「大丈夫です。勿論遅刻せずにみんな来てます。」と言うが本当かな?
会社の始業は8時だ。マネージャ数人と相談して、毎朝朝礼をやることにした。管理者持ち回りで伝達事項や言いたいことを3分間でやる。これには必ず全員参加を義務付けた。するとどうだろう。遅刻してくる社員が一目瞭然に分かるのだ。遅刻してきた者は途中から参加するのもバツが悪く、朝礼の輪の中に入れない。
もうひとつの効用は、各マネージャの論理構築力が話の筋道や引用などで見えてくることだ。彼らの中にはスピーチは勇ましいがよく聞けば中身がカラッポということも少なくない(最近は日本人も対岸の火事ではない)。これは3分間のスピーチで充分に見えてしまう。
始めのうちは不評だったこの朝礼は、互いの切磋琢磨にも役立っていたようだ。
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February 03, 2008
フィリピンで製造業を営む事業者にとって、そのメリットといえば、手先が器用で安価な労働力ということに尽きる。従って人海戦術的な労働集約産業が集まりがちだ。ところが、市場は需給の変動が大きく、固定的に製造現場で多くの社員を雇うにはコスト的なリスクを伴う。
一度だけ駐在している間に人員整理をやったことがある。勿論法令上フィリピンでも指名解雇は出来ないし、首尾よくやらないと恨みを買うモトにもなる。社員全員に平等に募らなければならない。
それにしても日本国内での大手企業の早期退職に比べて、フィリピンでの割増額は驚くほど少ない。実施した条件も最大で基本給の6ヶ月である。平均的な社員ならせいぜい5万ペソがいいところ。マネージャでも20万ペソ程度だ。再就職の道も容易でない状況でこの程度でどれだけの者が惹かれるだろうか。先のことは気にしない気質としても、ちょっと電卓叩いて、今後の安定かつ継続した収入と比べれば答えは決まり、のはずだ。
ところがいざフタを空けてみると、いるわいるわ。社員数3千名に対してなんと7百人以上が応募してきた。一般社員のみならず、マネージャクラスも部長が2人、課長クラスも4人いた。しかもマネージャクラスは概ね退職勧奨したかった人達だ。日頃の評価を妥当にやっておけば、彼らも退職の機を窺い、少々のプレミアムで円満に退職する。一時的にはコストもかかるし、乱発できるやり方ではないが、組織内の煙突掃除も出来るし、やりようによっては有効な手立てだ。
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July 06, 2007
思い出せばゴネ話は当地では枚挙に暇が無い。社内では処遇に対する不満や解雇となった社員の反撃、しつこい寄付要請、交通事故の示談金上乗せ要求など、よくそんな要求が出来るものだと逆に感心させられることが多い。要求だけなら、無視すればそれで済むが、それだけでは済まないのがフィリピンだ。
会社の10周年式典はつつがなく盛大に終了し、その陰にはイベント会社の女性社長Rの発案や実行力に負うところも大きかった。そのままなら彼女は大いに感謝されただろう。ところが成功裏に開催できたことで、彼女は打って出てきた。総務部長が伝えにきた。
「R社長が30万ペソ上乗せした請求にさせて欲しい、と言ってきていますが。」
追加の費用を要求してきたのだ。確かに見積り外と思われる効果的なアイデアも直前に急遽織り込んでいたであろうことは推察がついていたが、会社という組織では見積り以外の費用の出費は簡単ではない。最後は条件闘争になるだろうとは思いながらも、認めない旨伝えるように言った。すると、彼は訝しげに、
「彼女はMR.○○に了解してもらっている、と言ってますよ。」
「冗談じゃない。そんな話は今日始めて聞いたのに、了解したなどありえないじゃないか。」
私が了解したと言えば、総務部長が支払いの手続きをしてくれるだろう、とでも思ったのだろう。会社の中では僅かな金額の支払いも私のサインが無ければ出来なかったので、彼女の目論見は達成できなかったが、このようなMR.○○がOKと言っていた、という捏造はこの他にもいくつかの場面で遭遇した。どうせ裏をとればバレるのに、人間関係を壊してでも目の前の利益で動くという価値観には首を傾げざるを得ない。
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July 04, 2007
キャンティーンの業者は切り替わり、テーブルやら厨房やら模様替えもあったため、何やら新鮮な感じがするが、食堂内を相変わらず雀が我がもの顔で飛び回っているのは何とかならんのか。
日本人用のランチはコメは日本米だし、相変わらず悪くない。それにしてもこの45ペソは本当にそれでいいのか。と、思い続けていたら、やはり。総務部長がニヤニヤしながら言ってきた。
「日本人用のランチは100ペソに値上げをお願いしたいとオーナーは言ってきています。」(ほら来た)
「日本人のランチの値段は45ペソだということは、伝えたんでしょ?」
「えー、確かに伝えたんですが、材料代とか計算違いをしたので、45ペソだと今のメニューは出せないと言ってます。」
(業者の言っていることをそのまま伝えるだけで…、あんた総務部長でしょ?)
「じゃあ、こうしよう。1年の契約が終わったら、この業者とは以後一切契約しない。それでいいね。」
途端に総務部長の顔が曇ったのを私は見逃さなかった。キックバックを貰っているから、それだと具合が悪いのだろう。彼がどうオーナーに話したかはわからないが、以後値上げの話は立ち消えとなった。
始めに飴をしゃぶらせて、後から回収するのは、どこの世界でもあることだが、もうちょっと慎ましいやり方で、上手にやってもらいたいものだ。
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July 03, 2007
フィリピンで仕事をしていると、欧米流の契約社会を実感することが多いが、アジア型の成り行き型の場面に面食らうことも多い。
ある時期にキャンティーンの運営会社の見直しをしようということになり、いくつかの業者が手を上げてきた。このキャンティーンでは日本人駐在員も昼食をとる。我々の昼食はキャンティーンのメニュウから日本人に好まれそうなものが何品か盛り付けられ、コメは現地米にもち米を混ぜたものが出された。当時45ペソ。
ある応札者は日本人が決定権をもっていると見て、日本人用のメニューも試食して欲しい、と言ってきた。駐在員達はこの時のランチには相当満足したようだ。何と言っても日本米である。おかずも従業員用のものとは明らかに異なる。であるが、心配なのはコスト。総務部長に聞いてみた。
「日本人用のランチは45ペソだということは、業者は了解しているのか?ご飯は日本米だったぞ。」
「はい、それは伝えてあります。大丈夫です。彼らはテレビも持ち込み、従業員に娯楽も与えます。」
と、なれば、従業員が満足していれば決まりだ。どうせ、マネージャ達も裏でキックバックを貰っている事は想像に難くないが、それはフィリピンでは極めて当り前のことであるし…
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June 19, 2007
先ごろ発表された題記のテーマでは、日本の相変わらずの低水準が強調されていたが、管理職の女性比率という点で、フィリピンは群を抜いて高い水準を示している(尤も調査国は12カ国にすぎないが)。
日本の10%に対してアメリカが42%、フィリピンはなんと58%だ。これにはどことなく納得出来るものがある。管理職に限らず、凡そで言えば、フィリピン人男性はいい加減な者が多い。それに対して女性の方は総じて真面目だ。フィリピンでは自分の責任範囲以外のことは誰も進んでやることはないが、責任範囲のことについては結構粘り強く取り組む(結果の部分では要求とズレることも多いが)。そしてこの傾向は見ていても女性の方に顕著に現れる。それと、フィリピンの女性は規則や原則通りに物事を進めようとする傾向が強く、任せる側も安心できるのだ。
製造現場では作業者はほぼ100%女性だし、彼女達を指揮するラインリーダーも殆んどが女性だ。器用さ云々もあるが、何といっても休まず真面目に手順通り働く、という面によるところが大きい。
毎朝加工区に向かう際に見かける光景はダンナが奥さんをオートバイの後ろに乗せている姿だ。ダンナのやる唯一の仕事は奥さんの送り迎え。この光景はいつまでたっても変わることはなさそうだ。
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November 28, 2006
フィリピン人社会は日本人が考えている以上に、メンツの社会だ。特に会社では顕著な様相を示す。日本で会社の中での人物の軽重を示す端的な尺度は肩書きだ。勿論フィリピンでも肩書きは重要だ。何故ならそれはストレートに給与に反映するから。
もう一つ彼らが重要視するのは部下の人数である。ここには二つの理由があるようだ。一つは部下が多いほどエライという見かけ上の問題。もう一つは恩の売り買いというフィリピン人独特の感性が働いているようだ。部下が減ってしまうと、この恩の売り買いをできる相手が減ってしまうからだ。要は影響力を行使できる人間が減ってしまうということは、この国の社会では自分の立場を非常に大きく揺るがす。
会社ではある時期から、生産品目が増え、購入する原材料が大幅に増えたことから、それまで購買及び物流を一人のマネージャに任せていたのを二人のマネージャに責任範囲を分けたのだが、フィールドが狭くなったマネージャはしばらくの間かなりモチベーションがダウンし、意気消沈していた。
この国で組織を変え、異動させようとするときは、彼らのメンタリティもよく理解してかからないと、想定外のリバウンドを食らうことになる。
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June 27, 2006
そんな彼女たちには帰国後、ある”縛り“が待ち受けている。出国前に彼女たちはある書類にサインをさせられている。
「研修終了後1年以内に退職する場合は、研修費用を弁済しなければならない」
企業にしてみれば、少なからぬ費用をかけて研修させたのに、すぐに辞められては無駄な投資になってしまうし、オペレーション能力の向上にも繋がらない。彼女たちにしてみれば、これでは実質1年間は退職することはできないが、サインをするときはロクに読まずにサインしている場合がほとんどだ。
それでも彼女たちにとって、日本は印象の良い国だそうだ。日本人の多くは至って外国人に親切である。格差社会ではあっても階級社会ではない日本では、彼女たちが疎外感を味わうことのないよう丁寧に接する。休日にはどこかに連れて行ってやったり、食事をご馳走になったり、案外至れり尽くせりなのだ。我々にはどうとも思わない会社の食堂のランチも好評で、特にコメが美味しいというのは誰もが言うそうだ。それと我々にとっては当たり前のことだが「どのクルマも真っ直ぐ走っている!」とか、「道路がとても滑らかだ」などと関心していた者もいた。
日本に行く前は「金持ちの国」「礼儀正しい」くらいの印象だった日本に、帰国後は「親切」「きれい」「美味しい」という印象が加わる。
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June 26, 2006
フィリピンの日系企業では、製造現場の現地でのオペレーション能力向上を目的に、現地の製造現場のリーダークラスの社員を日本に連れて行き、研修させることが少なくない。
多くは女性社員である。彼女たちにとって、僅か2~3週間の滞在ではあるが、日本に行くということはどういうことなのか。少し誇張されているだろうが、日本に対するポジティブなイメージを持っている場合が多いから、まずは行って見てみたいという興味。それと少なからず、臨時収入が入る、ということも見逃せない。
まずは支度金が支給される。滞在中の賄いは全て現物で支給されるので、マネージャクラスが出張したときの日当とは異なるものの、小遣い程度の日当を滞在中も受け取ることが出来る。
支度金は、本来渡航に当たっての準備の為の費用であるが、一旦彼女たちの手に渡ってしまえば、支給目的などはどうでもよい。ほとんどの場合、親兄弟、親類縁者に分配されて、瞬く間に消えてしまうことが多い。だからだろうか、空港まで家族や親類が大挙して見送りに来る光景も珍しくない。
滞在中のささやかな日当はどうかというと、彼女たちはほとんど手をつけない。スナック菓子を買う程度だ、それでも帰る頃には秋葉原でひとつふたつ電化製品を買い、残ったお金は再び親兄弟に渡る、というのがティピカルなスタイルだ。
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June 22, 2006
フィリピンで仕事をしていると、贈収賄がこれほどまでに公然と当たり前のようになされているものかと、驚かされることが多い。日本でも性懲りも無く官公庁を中心に”伝統“となっているようだが、絶対バレないように外堀はキチンと埋めるのが常である。
先般記事にした家電製品の社内販売はCORPの管轄であるが、この家電業者の社長によれば、CORPの責任者は当初売上比10%のリベートを要求したそうだ。最終的に5%で妥協した、と言っていたが、その5%で社員にもっと安く買ってもらう方がどうみても健全だ。
梱包用の段ボーボールを売り込んできた業者がいた。彼が提示してきた価格はメリットが全く無く、興味が感じられない。彼は何を勘違いしたか、
「いくら欲しい?要求には出来るだけ応じるから言ってみてくれ。」ときた。
ほう、恐らくこんなやり取りはローカルのマネージャ達との間では日常茶飯事だろう。そして、こういった提案には応じているマネージャも少なくないだろう。
このような関係でのビジネス上の繋がりは、互いの信頼関係の上でのものではないから、長続きなどするはずがない。フィリピンではくっつくのも簡単だが、裏切ったの裏切られたのと、リレーションシップが続かないことが多い。
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June 07, 2006
この日を境に(暫くの間、ちょっとした異変が起きた。知らない人からあちこちで挨拶されるのだ。身に覚えがない。ある日、空港からタクシーに乗ったときとこと。運転手曰く
「旅行で来たのかい?」
面倒くさいから“そうだ“と答えた。
「俺にも日本人の友達がいるんだ。MEPZ(加工区)で仕事している日本人だ。」
「ほう、誰だい?」
「MR.○○っていう人だよ。」
・・・。私と同じ名前だが、少なくとも私はこの運転手知らないし・・・加工区に同じ名前の日本人、いたっけ?
また、別の日のこと。旅行に行こうと思ってマクタン島内の小さな代理店を訪れた時、名前を記入しようとしたら、
「あなたは Mr.○○, でしょう?」
「・・・!えっ、どうして?」
彼女は微笑みながら、
「あなたはここマクタンでは有名ですよ。」
え~~?うーむ、思い当たることがあるとすれば、大統領が来た日の翌日の新聞か。確かに写真の端っこにたまたま私も写っていたが、主役じゃないし。でもタイミングからはそれしか思い浮かばない。今でもとても不思議に思っている。
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June 04, 2006
どうやらここに来る前から既にかなりスコッチを飲んでいたとみえ、大統領は酒の匂いを存分に振り撒きながら、勧められるままにさらにグラスを傾けている。さて、彼が我々に話しかけてきた内容は全く意外な事柄だった。
「キミたちの周りに誰か良からぬ者はいるか?もしいれば、言いなさい。私が力になってあげよう。」
あまりの予想外の言葉で、返事の返しようがなかった。相当酔っているとしか思えない。或いは、この頃からフエテン賭博がどうだこうだと取り沙汰されていたから、周囲にいるものが信用できない者達ばかりだったのかもしれない。
それでも記念撮影では、大勢の社員が歓声を上げて取り囲み、まだまだ人気の高いことを窺わせた。一行が帰る頃には、既に太陽も大きく西に傾き、やはり沈み行くイメージとダブって見えてしまうのだった。
やれやれ、セレモニーはとにかく無事に終わった。因みに、この日は私の誕生日。1国の大統領が私の誕生日を祝いに来たのだと、勝手な思いを巡らしていたら、事務所の女性社員たちが次々と
「Happy birthday, Mr.○○.」
と頬にキスしに来るではないか。この年にもなれば自分の誕生日なんてどうでもよいと、気にもしていなかったが、大勢の女性からたて続けにこのようなもてなしを受けたのは人生の中で後にも先にもこの時だけだ。
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June 03, 2006
大統領の訪問に先立って、事業所の責任者はテレビ局のインタビューを受け、フィリピンへの投資の有意性を語っていた。新聞記者たちもかなりの数が押しかけてきている。あとは大統領の到着を待つばかりなのだが。が、なかなか来ない・・・
大統領はヘリコプターでやってくるとは聞かされていたが、いつどこに降りるのかは、我々が知らされる由もない。そうこうしているうち、午後3時も回った頃、周囲がにわかに慌しさを増してきた。どうやら近くまで来たらしい。会社の外では歓声が上がっている。さっきまでダラッとしていた鼓笛隊がけたたましく演奏を開始した。近隣の会社の社員も噂を聞きつけて、大勢集まっているらしく、塀の外も賑やかだ。
鼠色の4WDはあっという間に、勢い良く正門を突破して来た。ところがクルマから降り立ったその人物はおよそ大統領らしからぬ身なりである。カジュアルな服装にサングラス。まあ、息抜きのついでに来たのだろうから、そんなものかも知れぬ。A農業相を連れていたが、どうやらここに来る前はボホールで農業施設の視察をしていたらしい。皆、靴が泥だらけだ。地元の有力者も勢ぞろい一同に会している。来るなり周囲を見渡して
「リリア(PEZAの長官)は来てないのか?」
彼女は数日前に来れない事を伝えてきていた。ちょっと不満そうな大統領。それにしても雰囲気がおかしい。
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June 01, 2006
大統領の来訪となると、まず大変なのは警備関係だ。SP達との打合せは綿密を極めた。訪問時間は大体何時という程度で、正確な時間は知らされない。まあ、どうせフィリピンタイムだから時間ピッタリに来るとも思っていなかったが。そのあたりはマクタン第2ブリッジの開通式でも経験済みである。
見慣れないものを見た。SPの中には左の胸に赤いワッペンのようなものを貼り付けているものがいる。総務部長に尋ねた。
「あの赤いシールは何の意味だい?」
「あー、あれは万が一の場合に、撃つなら俺を撃て、という目印なんですよ。」
大統領のSPとは本当に命を張っている。大統領、しっかりしてくれ!
食事や飲み物、手土産、アシュレットなど段取りも全て整い、近くの学校からは大勢の鼓笛隊までやってくる手はずになっている。後は当日を待つだけである。この大統領に対する見方はその頃から既に賛否様々であったが、現役の大統領がやってくる、というのは社員にとっても鼻が高い出来事らしく、誰もが楽しみにしているようだった。
さて、当日である。いつ現れるか分からない大統領ではあるが、日曜日にもかかわらず、我々は朝から待機をしていた。休日とはいえ、ほぼ社員全員が会社に来ている。誰もが大統領の姿を間近で見たいのだ。当分の間、彼らの自慢話になることは間違いないだろう。鼓笛隊の練習は朝から何度もやっていたが、さすがに日が高くなるにつれてダレ気味である。このときの先頭でバトンを持っていた女の子(多分15歳くらい)はケタ外れに可愛い娘で、同僚駐在員たちも盛んに不埒な視線を送っていた。
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May 31, 2006
例の強姦事件でPresidential assistant のF氏に厄介を掛けて以来、私たちはF氏と懇意になり、食事をしたりセブカンでゴルフをしたりしていた。セブプラザの近くにあった日本食レストランで食事をしていた時、彼はひとつの提案を持っていた。大統領(E元大統領)の会社訪問の打診である。
「来月ビサヤ地区の視察があるので、その際に加工区の会社を1社訪問するスケジュールにしようと思っている。そちらの会社を訪問してもらおうと思うが、どうだろう。」
大統領が会社に来たからと言って業績に寄与するわけでもないが、名誉な話には違いない。我々には断る理由はなかった。
話は決まった。さて、段取りである。受け入れると決まったからには2~3週間のうちに様々な準備を一気にやり遂げなければならない。このような行事の段取りやアイデアについてはフィリピン人は実にテキパキとよく動く。招待客に日本人がいるわけでもないから、ここは全てフィリピンスタイルでよい。アシュレットや飲食類、手土産の用意、関係する政府関係者への手回し、鼓笛隊の手配、とにかく日頃の仕事振りとは別人の如くの働きぶりだ。あっという間に当日の受入れ方法と役割や準備すべきことが決まっていった。来訪日時は3月下旬の日曜日である。
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May 25, 2006
毎年今頃は頭の痛い季節だった。賃上げに関するローカルのマネージャ達との葛藤。何しろ、出費を抑えるべき部門の責任者までが従業員を代表して賃上げを勝ち取ろうとしているのだから、周囲は全員敵、四面楚歌ということになる。
もうひとつ厄介な交渉ごとがある。マネージャたちの査定である。考えてもみれば日本社会での査定は随分と感覚的でありアバウトである。その意識で査定交渉に向かうと痛い目にあうことになる。まずは査定を示し、理由を開示する。その段階では大人しく聞いているが、意見を求められた途端に状況は一変する。あれもやりました、これもやりました、と感心するくらい細かな事柄を得意げに指を折って数えながら捲くし立ててくるのだ。
彼らは自分の守備範囲の仕事でたまたまうまくいったものも含めて、全て自分の手柄にして主張してくることを覚悟しなければならない。そうなると、こちらも反論し、そうでないという客観的事実も用意しておかないと、議論で押し切られてしまうのだ。しかも最後には彼らを納得させなければならない。そうでないと、彼らが査定書にサインしないからだ。査定書に被評価者のサインなしに処遇を決めてしまうことは、当然法的にも無効である。
半年に一遍まとめて一人ひとりの業務活動の状況を評価しようとしても、些細な部分まで思い出せるものではない。日頃から気づいたことや目立った事実関係は常にチェックし、記録に残しておくことが絶対的に必要である。
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May 19, 2006
だらけた気持ちの中ですごす2時間はとても長い。一方、張り詰めた気持ちで過ごす時間はアッと言う間だ。何がおきるか分からないフィリピン。ひとコマひとコマ祈るような気持ちで見守っていたが、全てが不気味なくらいうまくいっている。鏡割りの酒樽も漏れる様子はない。
唯一誤算だったのは、G知事が思い切り木槌で叩いたために、酒が飛び散ったことぐらいだが、そんなこともあろうかと、あらかじめタオルを用意していたので、ご愛嬌で済んだ。
余興は火渡りのショーとシヌログパレード。パレードは壮大だ。ローカルの方々は勿論、日本人ゲストにも印象深いものになったはずだ。
全てのイベントが恙無く終わり、招待者の方々が帰るとき、出口で待機していた私にも様々な声が聞こえてくる。
「すばらしい、感激した。」
「このようなセレモニーは初めてだ。」
など、うれしいコメントが聞こえてくる。R銀行の方からは
「いやー○○さん、今までフィリピンで見たセレモニーの中で、今日のは一番印象に残りました。」と仰っていただいた。
セレモニーが終わってからもローカルの数名の方からもわざわざ手紙まで戴いた。とても嬉しかった。でも最も感謝しなければならないのは、カリカリしていた私に最後まで付き合ってくれたプロジェクトメンバーの彼らに対してである。土壇場での彼らの底力は侮れないのだ。あるマネージャは言った。
「フィリピン人は、いざとなるとドッとアドレナリンが出て、信じられないくらいの力を発揮します。」
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May 18, 2006
要人たち(会社の)を乗せた車両は手はず通りマクタン加工区から約20分ほどでウォーターフロントに到着した。普段の日の夕方なら40分程度はかかるのだが、この日は違った。ラプラプ市のW市長の計らいで、日本で言う白バイ先導で一般車両を蹴散らしてくれたのだ。おかげであっという間に到着した。
さて、最後のリハーサルである。相変わらずカリカリしているのは私一人で、彼らは本番ではちゃんとできるから大丈夫と、相変わらずのリラックスムード。もうどうでもいいよ。
救いはMC。さすが現役のニュースキャスター。そして多少なりとも日本人を知っている。彼女は一発でほぼ要望されていることを体現していた。役割を担っているイベント会社の社長は盛んに「パスパス!」と声をかけている。が、彼女のクルーたちは笑いながら声を掛け合っている。数十分後には本番だ。本当に大丈夫なのか。
18時。予定通りに幕は切られた。あっけにとられた。さっきまでの気だるい怠けた雰囲気には程遠く、1時間前の予行演習とは大違い。全てが予想以上のテンポと迫力で目の前に展開している。イメージしていたシナリオを100とすると150くらいのものが目の前で動いていた。間の取り方、照明や音響、ビデオなどの連携も100%イメージどおり、いやそれ以上なのだ。寝不足もあって、自分自身でも目の前で起きていることが信じられず、しかも心地よい疲労感の中にいた。
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May 16, 2006
直前のリハーサルは午後2時からの予定である。6時の開演までには3回程度は演習をやる予定でいた。が、案の定、会場にいってみると人影はまばらである。第一、MCが来ていないようでは、始めようがない。昨日は私は途中で帰宅したので、どの程度の出来具合か非常に気になっていたが、演習ができなければそれを確認することさえ出来やしない。
幸い、MCはこのホテルに投宿しているので、呼びに行ってもらった。MCが入念に化粧を済ませてやってきたときには既に3時を回っていた。しかも、やや不機嫌そうである。おまけに起きてからまだ食事をしていないから、これからランチを食べてくる、という。(おいおい、もう何時だと思ってんだよ~)ホテルの奥にあるレストランの向かって歩き出したとき、ちょっと立ち止まり、振り向きざまに彼女は
「もういきなり本番でも大丈夫!」
と、茶目っ気たっぷりに右目の目じりを人差し指で押し下げた。なるほど、長い日本滞在経験で覚えたアッカンベーの仕草をまだ忘れてないということか。
「そうかも知れないが、大丈夫かどうか私は見ていない。とにかく1度やってみてくれ。」
彼女は仕方ない、とでも言わんばかりのジェスチャーで応じた。どっちみちリハーサルをやる時間は1回分しか残されていない。それで駄目ならそれまでだ。
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May 14, 2006
11時を過ぎて、ようやくリハーサルまで漕ぎ着けた。ところが、この前後からちょっと妙な雰囲気を感じた。どうも人が少ない。さっきまでいた人がいないように思える。総務部長のTを探したが、なんと彼もいない。居合わせたマネージャに聞いたら、すでに何人かは時間が遅いから、と言って帰ってしまったそうだ。しかも、彼によるとT部長は、
「Unbelievable! Crazy!」
と言ったとか。まあ、確かに余分に手当てが出るわけでもないのに夜中まで働くなど、真っ平な話なのだろう。尤も帰ってしまった連中はよく見りゃ大して戦力にもならない連中だと割り切ってしまえば、残った者だけでやれば良い。
それでも、リハーサルではやはりというか、イメージしていたものとはちょっと違うのだ。大筋のシナリオは変わらないが、動きが緩慢なのだ。そして失敗してもジョークを飛ばしたり、笑ってごまかそうとするから、どうにも真剣にやっているように見えない。MCの彼女は、まだやるの?という顔つきだったが、こちらの必死さを理解してくれたのか、かなり真剣にやってくれた。3時も回ったころ、マネージャの一人が
「あなたは明日、ヘッドクウォータの偉い人に業務報告もあるのだから、もう帰ったほうがいい。リハーサルは我々はこのまま続けます。」
と言ってくれた。このまま帰るのも非常に心配だったが、何しろ疲れた。
そして翌朝6時、真っ赤な目をこすりながら会社に向かった。果たして今日は無事に1日を送ることができるのだろうか。全くもって不安な1日のスタートである。
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May 12, 2006
イベントをぶっつけ本番でやるのはちょっと無謀だ。リハーサルというか予行演習が必要だ。それも何回も、である。予定では前日は朝からそうする予定であった。
MCは来ているし、シナリオは決まっている。ところが、主役ではないが重要なものがなかなか来ないのだ。照明を受け持つ業者である。彼らは3時には来てリハーサルには加わることになっていたが、夕方になっても姿を見せない。イベント会社の女性社長も盛んに電話をかけているが、どうやら機材のレンタル業者からのデリバリーが遅れているということのようだ。
何しろフィリピンである。待っているだけでは危ない。こんなときに役にたつのは大体いつもシステム課長のJである。彼は知り合いに声をかけ、必要な機材を貸してくれるよう心当たりに頼んでくれた。そしてそれらが揃ったのが夜8時頃。やれやれ、これでやっとまともなリハーサルを行える環境が整った。
と、思ったのもつかの間、配線ができないことがわかった。事前にホテル側との打ち合わせで電源がどこにあるのか、調べてはあったのだが、いざ、差し込んでみると使えないのだ。電源は別のところから引き回さなければならない。長いケーブルが必要だが、ホテルにはそのような用意はない。結局、会社まで行って取ってくるしかなかった。
すべてのインフラが整い、まともなリハーサルが出来るようになった時には時計の針は夜中の11時を回っていた。
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May 10, 2006
鏡割りの為の樽は日本から既に取り寄せてあった。しかし早くから酒を樽に入れてしまうと香りがきつくなってしまい、高い気温では発酵も進んでしまう。Hさんのところは秋田の地酒を取り寄せていた。段取りでは2日前にビンの酒を樽に移すことになっていて、予定通りこれは実行された。
ところが暫くして、酒が樽の胴からから漏れ始めて止まらないというのだ。もう時間がない。こうなったらイベントの直前になってから樽に酒を入れるしかない。それにしてもステージが酒浸しになるのも具合が悪い。メンバーの一人が木枠の切れっ端を使って受け皿を作ったらどうか、と提案してきた。ステージの床の色と同じにペイントしてしまえば目立たないと言うが、間に合うのか?メンテナンスのM課長に出来るか?と聞いてみたら、問題ない、という返事が返ってきた。この課長には以前苦い思いでもあったが、とにかくやってみるしかない。
こういうことならフィリピン人はやりだしたら早いのだ。頼んで数時間後には木枠とブリキの受け皿が出来上がっていた。そうこうしているうちにHさんから
「いやー、良かったです。モレはどうにか収まったようです。」
との連絡があった。どうやら、ホースで樽に水をかけ続けていたら木が膨れたらしく、スキマがピタッと埋まったらしい、とのことだった。咄嗟に奈良の東大寺正倉院の校倉造りを思い出した。このアイデアも使っていたフィリピン人のアイデアだと彼は言っていた。時はもう既にイベント前日である。
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May 09, 2006
彼女はイベントの2日前にマニラからセブに移動した。その日の午後は全体の進行の流れについて打ち合わせ。その中での彼女の役割についても
「OK, No problem!」
さすがプロ、どのように自分が演出すべきか、このあたりの飲み込みは速い。あとはこちらで用意した台本にプロとしてどんなアレンジが必要か聞いてみた。
「Sorry, I don’t understand this.」
(えっ、日本語の読み書きが出来るんじゃなかったのか。)
どうやら日本から帰国して数年が経ち、会話は何とか出来るものの、文章を読むことは最早出来ないらしい。
「She was supposed to be able to read Japanese!」
慌てたイベント会社社長は、
「Yes… But … I thought she could, because … 」
彼女に日本語で喋ってもらうためには、原稿を全部ローマ字に直さなければならなかった。イベント2日前である。深夜まで一人黙で々と作業をするしかなかった。そして、直前での意外な番狂わせがもうひとつ起きた。鏡割りの酒をお願いしてあったHさんからの電話によると・・・
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May 06, 2006
イベントではMCの良し悪しは全体の印象に大きな影響を与える。カネを出せばそれなりのMCを呼べるが、予算には限度がある。イベント会社の社長はシステム課長Jの友人だ。彼女は、マニラからアンジェリク・ラゾというキャスターを呼ぶことを提案した。正直言って、テレビのローカル番組はほとんど見ていなかったから、どういう人なのか私は知らなかった。ところがプロジェクトメンバーは一様に目を輝かせて、「それはすごい」とはしゃいでいた。写真を見せてもらったら、それほど若くはないし、ちょっと(以上かな)ポッチャリしている。それでも有名人らしく、メンバーはこの人で決まったと言わんばかりに興奮している。どうやら、彼女はこの社長の友人らしい。
が、しかしギャラが高いんじゃないか?私の頭の中でカネのことがよぎった。
「いくら彼女に払わなければならないのか?」
「彼女は私の友人だから、無料でやってくれると思います。でも飛行機代とホテル代だけはみてもらえませんか。」
(なに、それだけでいいのか?)
「いいでしょう。社員も喜んでいるようですし。」
聞けば彼女は上智大学で6年間留学したので、日本語の読み書きもできるというではないか。であれば、私が書く勧進帳を英訳することなく、対応してもらえそうだ。これでMCは決まった。
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May 04, 2006
イべントにおいてオフィシャルな部分は比較的容易に決められる。ある程度の雛形があるからだ。それらをちょっとカスタマイズさせれば良いだけだ。ただ、それらに枝葉をつける作業は関係者の主観のバラツキもあって、なかなかまとまらないものだ。
プロジェクトのメンバーは彼らなりに真面目に取り組んでいるが、彼らの意見はパッチワーク的なアイデアが多く、それらをまとめても整合性が取れないことが多い。それでも、開催予定日の1ヶ月くらい前からは毎日深夜までミーティングとなった。このあたりから彼らの中で一人二人とやがて脱落者が出てくる。脱落といっても止むを得ないのだ。彼らの生活習慣で家族を犠牲にして仕事に時間を割くというのは、そもそも価値観に反しているのだ。そんな中でも、システム課長のJと彼の部下N,環境課長のLは最後まで付き合ってくれた。毎日夜中までディスカッションしていれば、お互いの腹の中は理解できるようになってくる。そうなれば彼らの行動力は素晴らしいものがある。
イベント請負会社が提案していた進行要領に対して、彼らは私に代わってほぼ適格に修正を要求していた。何をすべきかフェーズ合わせさえきちんとできれば、それを具現化させる能力を彼らは充分に持っている、ということを私自身が身を以って理解し始めたのはこの頃からである。
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May 03, 2006
招待者を誰にするか、ということはある程度の基準を作ってしまえば、そう難解な作業ではない。私情をどこまでコントロールできるか、だけである。進行要領、要は何を出し物としてやるのか、これはなかなかまとまらない。オフィシャルで儀式的に進めなければならないものもあれば、参加者に寛いでもらうためのエンターテイメントも必要だ。さて、何をやるべきか、未だこれからというその頃。
どうもキャンティーンのあたりが賑やかだ。ズンチャカズンチャカ、人の声も小さくない。中を覗いて目が点になった。勤務時間中だというのに数十人の女子社員がダンスをしているのだ。しかも見たことのない男性が大きな声で彼女たちに熱心に指導している。事務所に戻ってT総務部長を呼んだ。
「キャンティーンで大勢の女子社員がダンスをしている。勤務時間だというのに、何しているんだ?」
「あー、あれは式典のときの出し物のダンスの練習ですよ。」
「出し物で社員にダンスをさせるなんて、いったい誰が決めたんだ?」
「M部長の提案ですが、ダメなんですか?」
「出し物を何にするか、まだ何も決まっていないじゃないか。第一、この忙しい時期に、生産量を落としてまで、社員にダンスをさせるほどのヒマはないはずだぞ。それにあのオカマみたいな男は何なんだ!」
「彼ですか?ダンスのインストラクターですが・・・」
常に社員の人気取りに余念がない彼らは、勝手に社員のダンスによる参加を既成事実化させようとしていたわけだ。しかも後で知ったことだが、オカマちゃんにもすでに幾らか指導料をも支払っていたようだ。
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May 01, 2006
まずは招待者のリスト作成で躓いた。提案されている招待者リストは当然のことだが会社との関係でステイクホルダーでなければならない。総務部長Tが出してきたリストの中には聞いたことのない会社や人物で充満している。なんのことはない。彼は他の部長クラスに人数を割り当てて、招待者リストを出させていたのだ。結果どうなったか。それぞれの部長たちは自分の知り合いや親友を招待しようとしたのだ。こんなところは“パキキサマ”そのものである。フィリピン特有の恩の売り買いはこんなところでも行われる。これでは会社の記念式典になるはずもないが、こんなことからして、いちいち言わなければならないのもフィリピンの現実である。或いは、本当は分かっていても例により、通れば儲けもの、として出してきているのかもしれない。
記念式典といえば、要するにパーティである。パーティとなればフィリピン人の血が騒がぬ訳がない。とにかく彼らは出たがりである。ところが○千人の社員全員が、ウォーターフロントの会場広しと言えども、パーティ会場に入ることはできない。そうなるとエンターテイナーとしてでも参加したい。こんな時に一役買うのはいつも元技術部長のMである。かれは総務部長に入れ知恵をした。その結果、ああやっぱり、こんなことを考えるのか・・・
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April 30, 2006
期限間際までのんびり構え、タイムリミット寸前で慌てて取り掛かるが、予期しない出来事が発生し、こなしていく時間がなくなり、最後は体裁だけ取り繕うので精一杯。我々日本人でもよく見かける光景だ。心当たりがある向きも多いことだろう。
フィリピン人はこの特性を更に輪をかけたように存分に持ち合わせている。しかし、最後の帳尻合わせの完璧性という意味では、我々日本人のアウトプットよりもはるかに上をゆく。だから、かえって瑕疵がなかなか見つからず、伏流化してしまい、とんでもない大事なところで露呈してしまうことが多い。
それでも何とかカタチにはこぎつけられる、という意味では、イベントのようなものなら結果は一過性のものだから、非常にうまくいくことがある。私がいた時に創立○年記念の式典を行うことになった。招待者の多くはフィリピン人だから、フィリピンスタイルがベースとなるが、日系企業である以上、そのコンセプトも要求される。
開催予定時期の概ね3ヶ月ほど前から計画を開始した。プロジェクトチームを組み、彼らも日系企業であることも意識し、それなりに緊張感あるメリハリとインパクトをなんとか入れ込もうとしている。が、アイデアは良いのだが、どうも具体的な行動が非常に悠長に見えてしまうのだ。物事、特に一発勝負的なイベントのようなものは、何が起きるか分からないので、やれることはどんどん前倒しでやらないと、不測の事態への対応は出来なくなる。こんなことで大丈夫なのだろうか・・・
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April 15, 2006
フィリピンに進出している製造業にとって、フィリピンの市場性に期待して進出を決めたという経営者はまずいないだろう。多くの場合、地理的な要因、特恵メリット、人件費(このメリットは最早薄い)、関係先の進出に合わせて、などであろうが、人海戦術の製造業としては手先の器用さと属人的生産性の高さにも要因があるのではないかと思う。
視力は抜群で不良品の識別能力も桁外れに高い。きちんと管理された状態の中で仕事をさせればかなり期待値に近い生産量を期待できる。そこにちょっとインセンティブの鼻薬を効かせれば、更に数量の上乗せも可能だ。ところがそう計算どうりに行かないのもフィリピンだ。
加工区では多くの工場は24時間操業だ。夜中の工程現場はどのような状態なのだろう。
興味本位ではあったが、夜中に工場に行ってみた。その時間帯では、マネージャクラスは誰もいない。扉を開けて工程に入った。
何と、ラジカセがガンガン鳴っていて、多くの者が歌を歌いながら作業をしている。日中はそのようなことは一切ないから、良くないことは知っていながらのことだろう。その証拠に私が入っていくと、誰かがスイッチを切り、歌声も止んだ。彼らにとっても日本人が真夜中に工程を覗きに来るなど、予想外のことだったに違いない。
フィリピンで高い生産性が期待できるのは、きちんとマネジメントが出来た時だけである。
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February 24, 2006
もうひとつ、フィリピン流会議でよく見かける光景がある。ミリエンダ。ジュースを飲み、サンドウィッチやハンバーガーを頬張りながらの会議とはどういう訳だ。ここまでやめさせるのは、さすがに彼らの文化にも触りそうなので手を出さなかったが、だらけた会議の一因としか見えない。下を向いてケータイのテキストを見てニヤついているマネージャすらいた。急に質問を浴びせると、そこは咄嗟の取り繕う発言が上手な彼らのこと、尤もらしい回答が帰ってくるのも彼らの才能か。
それと、一番の問題は会議の後の行動である。彼らは全体テーマが決まると、部門会議の中でやることと割り振りを決め、下位の職位の者に委任する。ところがこの委任という奴が中々の曲者だ。多くの場合、部下に丸投げになっていることが多いからだ。
そうすると、アウトプットはイメージしていたものと違った形で出される。部門長を呼んで、キチンとチェックしていたのかどうかを問いただすと、そこから初めてチェックを始めるような始末である。従って本来、中級、下級管理者がチェックしていなければならないことまで、駐在の日本人は目配りしておかなければならない、というのが現実である。 具体的に指示して何かをさせると非常に優秀な彼らではあるが、仕事の場面での緊張感というものがもう少し欲しいところだ。
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February 23, 2006
どうも緊迫感がないのだ。フィリピンの人達は集まって喋るのが好きだから、ミーティングは良く行う。それはそれで良いのだが、問題はその中身とその後の行動である。フィリピンの人達は表面の見かけを非常に重視する傾向がある。(日本人もその傾向はあるが)そうすると会議でも非常にすばらしいスローガンや勇ましい意見も出もするし、皆も納得し、盛り上がっている。会議の後の議事録を見れば、非常に素晴らしい。が、実際にその通りに行動すれば、の話である。
例えば年間の部門計画などでは、会社の事業方針に沿った、かなり素晴らしい行動計画の概念図のようなものが出される。必要なコンセプトが全て網羅された誠によく出来た内容である。各セクションの役割やコミットメントも勇ましく記入されている。が、よくよく見ると中身としては極めて概念的だし、スローガンの領域を出ていないことが多い。そうなると、会議の為の会議で終わってしまう結果となる。この後のフィードバックは日本人が余程目を光らせておかないと、大概リップサービスで終わるのが常だ。
もうひとつ、緊張感の足を引っ張るカルチャーがある。議論が白熱しヒートアップしてくると、誰かがつまらんジョークを飛ばす。これはクールダウンと言ってヒートアップを抑える効果があると彼らは言う。どう見ても、結論に至らず曖昧にさせる妨害電波としか思えないが、彼らにとっては意義あることのようだ。
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February 20, 2006
フィリピン人の独特なメンタリティは人事考課で端的に見ることが出来る。一定期間の仕事に対する評価はバラつくのが当然だ。但し、これはキチンと妥当な評価をすれば、という前提がある。客観的な評価というのがここでは難物なのである。
スーパーバイザー以上対象の考課の結果を見て唖然とした。全員が一律、横並びの考課点になっているのだ。効果の要素には結果や能力、情意などいくつかの要素があり、夫々の要素の重さ(配点)が異なっている。私は合計点の一覧だけでなく、個人別の項目別評価リストも見せてくれ、と言った。これを見ると確かに項目毎の評価は個人別には一律でなく、例えばA君は能力はAだが成果がCで情意がDとか、B君は能力がDだが成果と情意がBとか、全く同じではない。それなのに全ての項目に傾斜配点を掛けた結果は不思議なことに全員が“中”のマスに入っているのだ。何かがおかしい。私は総務部長のTを呼んで、結果に対する意見を求めた。そこに元総務部長のMもやってきた。
「全員が同じ考課点というのは、理解できないし、納得できない。」
「結果の考課点は全員同じですが、このように、項目ごとに見れば全員一律でなく、評価はキチンとなされています。」
と総務部長Tが言えば、元総務部長のMが続けた。
「社員は全員厳しいテストを受け入社しているので、能力はほとんど皆同じなんです。全員が“中”に入っているのは偶然ですが、不思議ではありません。」
そう、フィリピン人は仲間内であからさまに差をつけることを非常に嫌がるのだ。一人だけ厚遇を受けると仲間から妬みを買い、以後足を引っ張られることになるので、そのような待遇はむしろ好まない社員が多い。だから総務部長と元総務部長は関係者に項目毎の配点をリークし、関係者は合計点で“中”の枠に入るよう計算しながら考課をつけていたのだ。
仲間内の同列意識とクラブメンタリティ、そして弱者を救済して恩を売る。この意識が機能している限り、フィリピンで人事考課という制度がまともに機能することはないだろう。
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February 17, 2006
毎年6月は頭の痛い季節だった。ベースアップのことである。上げ過ぎれば労務費の上昇は利益に影響するし、何しろ一度上げたら二度と下げられないからだ。かといって抑え過ぎれば、有