December 24, 2007
日系企業の駐在員にとって誰もが感じることは運動不足だ。何しろ所謂通勤がない。door to door でドライバーが玄関から会社まで運んでくれる。しかもカバンまで会社の机まで運んでくれるから全くの手ブラ。ちょっとでもエグゼクティブ?に負担をかけたら中間管理職の総務部長から叱られるので、運転手に手抜かりはない。
そこで運動。海が好きな人はダイビングという手があるが、中高年の男性諸氏には、お手軽なゴルフ、というのが定番だ。しかしこのゴルフは汗をかいて歩くという点では良いのだが、体を鍛えるという面でのエクショサイズではない。駐在後次第に体力の低下を感じるようになる。手軽に、という点では走るのが一番。ところが、何しろフィリピン。暑い。
住んでいたビレッジはさほど広くない。ゲートから100メートルで壁に行き当たる。毎週日曜はこの往復200mを10往復走ることにした。日本にいればもう少し長く河川敷を走ったりするが、ここはさすがに暑い。
ガードたちは“Good morning sir”と声はかけるが、何やら訝しげである。無理も無い。こんなことやっているフィリピン人はどこにもいない。彼らは木陰で寝転がっている。それでも毎週続けていると、やっている目的は分かるらしく、1往復くらいは一緒に走る者まで現れた。そうこうしているうちに触発されたのか、ビレッジ内の他のKという日系企業の人も頭にタオルを巻いてジョギングを始めた。
そうか、みんな同じ事を考えていたんだ。駐在員にとって、健康だけでなく体力の維持はプライオリティの高いテーマだ。
ところで、そんなフィリピンから太って帰国しそうなものだが、体重はむしろ減った。これは会社の昼食やメイドの出す食事で食欲をそそられず、食べる量が減ったからだろう。
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July 16, 2007
どちらかと言うと、唐辛子系の辛いものは苦手だ。喘息持ちで、多量に摂取すると夜中に発作が起きて苦しむ羽目になる。それでも味覚的に嫌いなわけでもない。そこでこのホットソース。
フィリピンではラベルにはエクストラスパイシーとか表示されていながら、甘ったるいものも多く、いくつか騙されたが、こいつは間違いなく“ホットソース”だ。お手軽なところでは目玉焼き、シュウマイや餃子にもピッタシで重宝する。何しろ1本30円そこそこ。最近近くのカルフールあたりでも、似たようなアイテムが見られるようになったが、決して安くはない。フィリピンに行った時には何本か買って帰るが、残りはあと1本。貴重品になってしまった。
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June 01, 2007
手持ちの中国株。先週のグリーンスパンの発言はインパクトがあった。慌てて手仕舞いしようと証券会社にTEL。指値売りをするつもりだった。ところが担当者不在で、後で電話するつもりが、何かと忙しくすっかり忘れてしまった。果たして週始めには上海暴落、香港市場も軒並み安。売るタイミングを失して意気消沈していたら、なんと今日はまた跳ね上がっている。暴落前の水準に1日で戻してしまった。結果、売らなくて良かった~
実はフィリピン株も考えていた。上場会社数でタイ、ベトナムと同程度。しかし個別企業のディスクロージャがほぼ皆無。流動性も小さく、何かあった時に身動きが取れなさそうだ。証券会社は個別銘柄でなく、投資信託を薦めている。せっかく投資家はBRICsの次の投資先を探しているのだから、フィリピン政府もこのあたりの法整備を進めれば、カネは流れ込んできそうなものだが、二重帳簿が当り前のカルチャーでは、信用しろ、という方が無理だ。フィリピンは個別銘柄で買うのでなく、国ごと買うつもりで投資しろ、とアドバイスされていた。よっしゃ、買ってみるか??
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May 08, 2007
当り前のことだが、フィリピンでは人手を使うものほど、我々には割安感を感じる。例えば靴。工場で作る運動靴などは輸入になるせいか日本で買うのと同じくらい高い。皮製の紳士靴などは手造りのため、むしろ安くなる。2000ペソも出せば皮底のしっかりした靴が手に入る。200ペソ位のもあるが、さすがに皮が硬く、歩き続けると血をみることになる。
チッカアンの前に仕立て屋があった(今でもあるのかな?)。ここで作ったオーダーメイドアロハシャツ2着が今でも健在だ。
仕立もまあまあだし、結構気に入っている。が、やや派手なので、普段着ることはなく、山梨の小屋に滞在するときに着たりしている。最近の夏はアロハシャツが流行っているそうだから、今年は思い切って都会でも着てみよう。生地と仕立代含めて600ペソ、ここの店主はディスカウントには全く応じなかった。
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February 28, 2007
日本人から見たフィリピン人、フィリピン人から見た日本人、どちらも言いたいことは多々ある中で、多くの日本人が抱くフィリピン人観で「時間を守らない」は最上位だろう。これはフィリピン人だけの専売特許かと思ったら、案外そうでもない。
私の教室では大人向けの英会話もやっているので、外国人講師がいる。おかしなもので講師がイギリス人というと、多くの日本人は講師に関しては肯定的に受け止める。フィリピン人が講師だと言えば、「え~」という返事が返るだろう。英会話講師は金髪で目が青くないといけないようだ。
ところがこのイギリス人、なかなかの御仁だ。何と言っても遅刻が多いのだ。理由がふるっている。 ①今日は向かい風が強くて早く歩けなかった ②自転車が突然パンクした(本当かなあ?) ③バスでストップのボタンを押したのに停まってくれなかった 等等。
彼は都内の英会話スクールでも教えていたが、ちょっとモメて、そこは最近辞めたそうだ。彼曰く
「遅刻したら給料をカットされた。遅刻って言ったってたったの5分だよ。」
「規則がある以上、5分でも遅刻でしょ。仕方ないんじゃないの?」
「それはおかしい。生徒も遅刻してきた。僕が教室に着いたときはまだ生徒は誰もいなかった。だから誰にも迷惑をかけていない。あの事務の女の人、クレージーね。」
こんな調子だから、私は新しく来る生徒には「時々遅刻しますけど…」と予めことわっている。教えるのは上手だし、仲良くなると楽しいイギリス人なのだが。相手の考えに合わせようとする気持ちはサラサラ無く、同じ時間にルーズでもフィリピン人の方が遥かに使いやすい。
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January 12, 2006
フィリピンでも中流以上の家庭では結構家電製品が普及している。イメージ的にはエアコンがあれば上の下、テレビがあれば中の上、何故か携帯の方が先に普及していて固定電話は今ひとつ。扇風機はかなり下層の家庭でも持っていた。(問題は電気代が払えるかどうか)
数ある家電の中で日本ではどの家庭にもあってフィリピンの家庭ではあまり使われないものがある(ファンヒータとかは当然使わない)。ひとつは掃除機。メイドは毎日のように床掃除をするが掃除機はあるのに使わなかった。フサフサのカラフルな箒で掃いたあとは、雑巾を足で滑らせながら拭いてゆく。日本人の感覚からはいかにも物臭な掃除風景である。
もうひとつは、洗濯機。今では日本では売っていない二槽式洗濯機はおろか脱水槽のないものまで未だ売られている。私が居たときは売り場で全自動などというものは殆どみかけなかった。そもそも洗濯機を買おうという家庭にはメイドがいる。メイドがいるのに省力化した家電製品など要らないのだ。全自動洗濯機はこの国では売れる商品になることはないだろう。電気炊飯器も、保温機能はこの国では殆ど必要ないそうだ。
日本人の感覚でこれは売れるだろう、とか考えると、現実とのギャップは相当大きいようだ。
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November 28, 2005
2週間ほどして、喘息の発作は全く表われなくなった。吸入を1日2回、そして指定された薬は1日3回。この飲み薬は結構強いものだったらしく、時おり動悸やめまいがやってくる。
そして、顕著なことが起きた。匂いにやたら過敏になってきた。私はもともと慢性鼻炎のせいか、匂いには鈍感で、ごま油で調理してもあの独特な香りを感じることが出来ない。ところがこの薬を飲み始めてからというもの、今まで感じたことの無い匂いをあらゆるところで感じ始めたのだ。部屋の匂いやバスルームの匂いとははこんなものだったのか、と始めて知った。食べ物も今までとは全く違う味がする。Y医師に相談したら、薬は半分にカットして分量を減らすように指示された。
帰国してからも1度、スギ花粉に誘発されひどい発作に見舞われた。だから今でも発作時に使うスプレーは出かけるときの必需品として、持ち歩いている。
もう湿気てしまっているだろうが、私の部屋には5年近く前に購入したキャスターマイルドが2カートン、未開封のまま残してある。これは禁煙をしたという証の品である。
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November 26, 2005
タクシーを待ってもいつ来るか分からないので、自分で行くしかない。二人の同居人(同僚の駐在員)はまだカラオケから帰ってきていない。車は自分で運転した。職務柄、日本人同僚に何かあったときは処置や支援を行わなければならない立場だったが、自分が緊急事態になった時には同僚からは助けを得られない、ということを思い知らされた。そして止まらない咳と途切れ途切れの呼吸でぼんやりした意識でも何とか10分ほど運転し、セブドクターズに辿り着いた。
Y医師は既に狭い診察室にいた。すぐに吸引のボンベを手渡された。Y氏はこういう具合に吸うんだといって、まず始めに自分で実演して見せた。さて、私がやってみると折角の吸引も咳き込んでしまってすぐに吐き出してしまう。それでも2~3回やっているうちに症状は次第に治まっていった。
落ち着いたところでY氏は言った。
「もしあなたが未だ死にたくないと思うなら、タバコはやめなさい。このことは1回しか私は言わない。決めるのはあなただ。」
もはや答えはひとつしかなさそうだ。Y氏の処方で薬を入手し、”まじめに”療養をしようと禁煙生活がスタートした。
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November 25, 2005
退院して2~3日後、夜中に突然の猛烈な咳き込みで目が覚めた。しかも今までとは違う状況だ。呼吸が出来ない。息を吐こうとすると気管が拒否してしまってどうすることも出来ない。出るのは苦しい咳だけだ。水をゴクンと飲むと、気管も開くのかその瞬間だけ息を吐ける。呼吸は吐かないと吸えない。だから息を吸い込んだままの状態になってしまい、次の呼吸が出来ないのだ。
このような夜中の突然の発作が毎日続くようになった。肺炎から喘息に移行してしまったらしい。しかも日ごとに程度がひどくなってゆく。横になると特に症状が出やすいので、ベッドから降りて床に座りそしてベッドにもたれかかるように体を起こして眠るようにした。当然熟睡はできず、今度は日中眠くなる。そんな日が数日続いた。
いつものようにこの日も夜中に発作は始まった。いくら喉をかきむしっても呼吸が出来ず、日本を離れこの地で3年、ついにここで死ぬのかとさえ思った。手元の携帯電話に手を伸ばし、知合いのフィリピン人に電話をした。彼は最近の私の状態を知っていたので、何かあったらいつでも自分に電話しろ、と言っていた。夜中だったが、彼は今すぐにセブドクターズに来いという。彼の友人のYという肺の専門家に頼んで病院に来てもらうから、すぐにでも来れるかと言うのだ。私には選択肢はなかった。
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November 23, 2005
私は鼻炎持ちである。要はアレルギー体質なのだ。今回肺炎にかかるまでは、花粉症のシーズンの鼻詰まりほど苦しいものはないと思っていたが、考えを新たにした。咳が止まらない方がやはり苦しい。鼻が詰まっても呼吸は口で出来るが、咳き込むとそうはいかない。
ひどく咳き込むとナースが背中を叩く、そんな日々が数日続いた。それでも食事だけは前回よりもはるかにマシだった。N亭の弁当はおいしく、いつも残さず平らげた。120ペソで小さいながらも鰻が入っていた時もあった。部屋のシャワーも存分に使った。病院の給食はもしよければ、と言って付き添いナースに勧めた。彼女はおいしそうに食べていた。
1日3回、機械から吸入を受け、安静にしているうちに卵の薄皮が剥ける様に、状態は良くなってきた。咳の出方もドライでなく、痰が出るようになり、連続性の咳ではなくなってきた。こうなるとやはり普段の生活に戻したくなる。やはりドクターに頼んで退院を申し出た。医者は自宅で安静にする、という条件でそれを認めた。
またしても自由を得た私は、よせばいいのにそのままN亭に向かい、病院を出て1時間後にはカウンター席に座っていた。そして、久しぶり、とばかりにキャスターマイルドに火をつけていた。全く懲りない男だ。
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November 22, 2005
明日から入院となった日の夜、取敢えず1週間分のパックランチの代金を前払いと、N亭に行き、少なくともこれから1週間は飲めない酒を飲んでいた。ついでに、やめておけばいいのに、吸い収め、といってタバコを何本か吸った。どうやらこれが災いした。
翌日から、再びパーペチュアルサッカーの寝床に寝転がる日々が始まった。点滴の注射針が無いだけでも随分と行動に自由が与えられた感じだ。相変わらず小刻みな咳は止まらず、先行きに不安はよぎるが、とにかく病院の中にいる、という妙な安心感があった。
ところが、その日の夜中、急激な咳き込みで目が覚めた。とにかく止まらない。脇においてあったペットボトル水をゴクゴクと飲んでやっと収まった。例により付き添ってくれている会社のクリニックのナースLが盛んに背中を叩く。不謹慎にも吸い収めと言って吸ったタバコの鉢が当たった。この時を境に、以前にも増して咳き込む状態は明らかに悪化した。
咳き込みに疲れると、自然に体が要求するのか、2~3時間眠れるようになるが、また発作的に咳き込み、目が覚める、という繰り返しになってしまった。まいった・・・
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November 20, 2005
私はそれまでタバコはキャスターマイルドを1日一箱吸っていた。それまでに禁煙にトライして1年くらいはタバコをやめていた時期もあったのだが。
風邪ではなさそうだが、コホンコホンと小さな咳が断続的に出るようになった。そして胸がムズムズする。そして今までに経験したことない事だが、熱燗の酒を飲もうとするときに、息を吸い込むと蒸せって仕方がない。何なんだろう?アルコールの揮発分が肺に沁みるのを実感した。生来の楽観主義者ゆえ、何だろうと思いつつも、特に手を打つこともなく、龍角散で誤魔化していた。いつまでたっても症状に改善の兆しが感じられず、会社のクリニックに相談したら、レントゲン撮影を勧められた。取敢えず近くにあるマクタンコミュニティという病院に行き、検査を受けた。結果は肺炎だった。写真を見ると、肺の中に黒ずんでいる箇所があってそこが患部らしい。
入院とはいっても今度は二度目なので気持にも余裕があった。食事制限はないので、いつも行っていた居酒屋N亭のA氏に頼んで、昼食と夕食の差し入れも頼んでおいた。これで食べ物についてはこの前のような悲惨な目には遭わなくて済みそうだ。どうなるかと思ったが、今回は点滴もないらしい。なーんだ、こりゃ快適な入院生活になりそうだ!
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November 18, 2005
突然の入院だったので、本を数冊持ち込んだ以外は何の段取りも無かったので、退屈この上なく、日々時間との戦いだった。それでも夕方になると見舞いの人が訪れる。いちいち社外の人達には伝えていなかったので、日本人が見舞いに来ることは稀だったが、現地の人達は随分と見舞いに来てくれた。中には初めて会う人もいて、名刺を貰っても、後から顔が思い出せない人もいた。
さて、5日ほどしてから、あまりに退屈なのと、早くうまいものが食いたい気持、それと、薬を飲んで寝ているだけなら、自宅でもいいんじゃないかという勝手な判断で、医者に退院を申し出た。但し、下痢の症状はその時点でも治まってはいない。
医者は、決して1週間は会社に出て仕事をしてはいけない、毎日部屋で安静にしている、という条件で許可してくれた。
やった!これでビールが飲める!異常な下痢が続いていても、そんなことはお構いなし。催したらトイレに行けばいい、くらいの気持で病院を出るとドライバーには行き先を来来軒、と告げた。まずは餃子とビールだ。ドライバーは一瞬ぽかんとしていたが、ミラー越しににやりと理解した。我ながら懲りない男だ。
なんだかんだで長引いたが、それから1週間くらいで体調は持ち直し、以前の生活が戻ってきた。が、実はそのあと4ヶ月くらいでまた病院のご厄介になることに・・・
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November 17, 2005
私は数日間入院していた間にゲッソリと肉が落ちてしまった。点滴針を手の甲に刺され、身動きがとれなかったことによる運動不足からか、特に腿の筋肉が気のせいか随分と落ちてしまったようだ。
もうひとつの原因は病院で出される給食だ。はっきり言って不味い。消化を良くするためにフィリピンライスがお粥になっている。これが熱ければまだいいのだが、すっかり冷めたお粥は正直食べられない。おかずもどちらかと言えば苦手なフィッシュソースで味が調えられている。初めての夕食では無理して半分くらい、息を殺すようにして食べたが、翌日からは見ただけで拒否反応。
どうにか食べられたのは、朝食だ。朝食は毎朝決まってコッペパンとバナナ。本当言えばこの組合せだって私の好物ではない。が、何しろ昨日からまともに食っていないから腹ペコだ。ひとかけらも残さず食べた。日中から夜にかけては見舞いの人達が持ってきてくれるクッキーやらジュースが主食になった。それでも夜中には腹が減って目が覚める。そうすると自分に言い聞かせるのだ。「もうじき夜が明ける。そうすればあのコッペパンとバナナがやってくる。」やがて空が赤みを帯びてくると間もなく“待望の”朝食の時間だ。
ところで、医者に聞かれた。
「バナナを食べているか?」
バナナはもともとは私の好物ではない。
「私はバナナはあまり好きではないが、フィリピンに来て2年間で2~3本食べた。」
「それは少なすぎる。カリウムが不足すると、こういう病気にかかりやすくなる。バナナを食べなさい。」
以後、帰国してからもバナナは朝食の共となった。何たって安いし。
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November 16, 2005
ナースと言っても今度は病院のナースである。「白衣の天使」とは言うが、想像していたよりは彼女たちは事務的で、やることをやったらさっさと出て行く。その彼女たちでもある物を見ると、私の部屋で足止めされるのだ。携帯電話だ。今から5年前にはそれ自体はすでに普及していたが、その当時は私が使っていたPanasonicは彼女たちの憧れだったようだ。個室なのでケータイは部屋の中ではいつでも使えるから、テーブルの上に置きっぱなしになっていたが、彼女たちは体温を測りに来ると、いつも私のケータイを手にとってはウットリと眺めていたものだ。ウットリ眺めてもらいたいのはこっちの方なのだが。
ところで、私は入院前から微熱が続いていた。だいたい37度を少し超えるくらいである。あるとき、体温計をチェックしたナースが
「thirty-seven… Ah… OK, ordinary.」ときた。
「No! It’s not ordinary for us Japanese! My average is bellow thirty six!」
と、食い下がったが、真剣に受け止めることなく、
「No problem! Are you joking?」
と言いながら部屋を出て行ってしまった。そう、フィリピン人は平均的に体温が高いのだ。平均は37度くらいだと聞いた。いくら日本人の平均は36度だと言っても取り合わなかった。
グローバル化した今、地球上の全ての民族の平均体温なるデータが絶対に必要である。さもないとおちおち入院も出来ぬ。
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November 15, 2005
入院した部屋は個室で、広さはだいたいウォーターフロントの1室と同じくらい。トイレ・シャワー付だ。自分が患者であるという点を除けばホテルにいるのとあまり変わらない。但しホテルと違い窓は小さく、如何にも収監されていることを実感する。それにNHKワールドも見れないから、テレビは退屈この上ない。この2ヶ月くらい前に帰国した時に八重洲ブックセンターでドッサリ本を買い込んでおいたことがせめても、であった。
それでもテレビは案外活躍した。勿論、見て楽しんだのは私ではない。そこまで頼んだつもりはないのだが、会社のナースが12時間交代で看病に付き添ってくれた。彼女達だって話題の接点がない私の横のソファーで12時間はさぞかし退屈であったろう。そこで活躍するのがテレビである。でもちょっと活躍しすぎ。彼女たちは本当に見飽きることなくテレビに釘付けだ。それはそれでいいのだが、ちょっと困った。夜、眠れない・・・。イヤホンは無いから、ズンチャカズンチャカと気になって。かといってテレビを消して真っ暗にしてしまうと、部屋の中は私とナースは二人きり・・・。彼女だって年は20ちょっとだし・・・、こうなると、何もしないのも失礼かと・・・。いやいや、いかんいかん、とグルグル思案しているうちに疲れ果ててて眠ってしまうのだった。
何とも不埒な入院患者である。ところで、私はイビキや歯ぎしりは人並み以上である。彼女は眠れなかったことだろう。
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November 13, 2005
5年前のちょうど今頃、私はパーペチュアル・サッカーという病院のベッドに横たわっていた。定かな病名はついに聞かされなかった。アメーバではないが、医者は「バクテリアが体内に増殖して白血球が極端に少なくなっている」と言っていた。思い当たる原因と言えば数日前に食べた烏賊の刺身が怪しい。入院前数日間は目眩と微熱、そして当然ながら極度な下痢が続き、会社のドクターに症状を相談したら、即座に赤痢を疑われ、そのまま入院となった次第である。
私は体力はないくせに意外と大病に患ったことがなく、セブに来るまで日本で入院した体験がなかった。初めての入院体験がフィリピンとなってしまった。赴任後もよく言われるような水にやられることもなく、風邪もひかず2年以上過ごしてきたのだが。
まず、驚いたのは点滴の針を刺す場所だ。左手の甲の人差し指と中指の間あたりに太いやつをいきなりブスリとやられた。針を刺す直前に相当痛いことを想定して顔をしかめていたら、ナースが笑いながら「ノープロブレム」。さほどのことはなかったが、案外自由が利かない。
早速、トイレやらシャワーやら、片手でどうすりゃいいんだろうと、これから何日に亘るか分からない闘病生活(ちょっと大袈裟)に思案を巡らしたのだった。
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June 15, 2005
今回からしばらくは食べ物について。ローカルの人達について思い出すことといえば、まずは米を良く食べる。キャンティーン(社員食堂)でよく観察していると、少量のおかずに対してご飯の量がとにかく多い。女子でもボウル2つが平均だ。我々日本人も米は主食とは言え、ここまでは食べない。
ではそのお味はと言うと・・・ フィリピンライスは東南アジア全般に多い長粒米であるが、10年以上前に日本で米不足のときに食べたタイ米のような臭さはなく、イメージほどは不味くない。かといって食感や甘みでは日本の米に慣れたしまった者には満足できるとも言えない。原因はひとつには焚き方にある。まず彼らは米を研ぐことはしない。米を研ぐと余分な糠やカビが落ちて見掛けも味も良くなるのだが、その分、様々なビタミンが失われていく。フィリピンの人達は米から摂るビタミンを重要視しているのだ。想像だが彼らの視力が非常に優れているのもこのためかも知れない。ぴかぴか光る白いご飯に慣れてしまった我々から見ると、ツヤの無いくすんだ色のご飯は確かにあまり食欲はそそらない。もうひとつの原因は炊き立ての熱さで給仕されないことだ。フィリピン人の多くは猫舌だ。熱い食べ物や飲み物が苦手だ。ローカルのレストランでは出てくる料理の多くは冷めていることが普通だ。ご飯も例外ではない。人間の舌は食べ物の温度で味わいが変わってしまうので、出された食べ物が作りたてか、冷めているのかは大きな違いだ。
それと、焚く時に注意しなければならないことは水の分量だ。日本米の方が25%程度多めの水を必要とする。ところで再度メイドのRであるが、初めて彼女が我が家に来たとき、彼女は日本人の家のメイドをしていたことがある、と言いながらも、初日のご飯はやはり堅くて食べられなかったことを覚えている。
でも、フィリピンライスで作る上海ライスはいける。私の大好物だ。
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June 13, 2005
新たなタレコミの手紙によると、掃除洗濯をしているメイドのMとガードマンの一人とがデキていてあなたの部屋で時々コトに及んでいる、という仰天ものだ。さすがに扱いに困った。Mは18歳でまだ若く、きちんと化粧でもすれば見栄えはかなりいい方だ。ガードマンが目をつけてもおかしくはない。そこまでは容易に想像できるが、そこから先は・・・。
恐らく誘ったのはガードマンの方だろう。Mの肩を持つわけではないが、彼女は自分から悪いことをするタイプではない。Mが初めてメイドとしてきた頃、部屋にある机の引き出しにわざと鍵をかけずに20ペソ紙幣を20枚ほど入れておいた。それくらいあると、1~2枚くらいはバレないだろうと持っていかれてもおかしくないが、何日経っても彼女はその金に触った形跡すらなかったのだ。彼女が積極的な主犯ではなかろうが、かといって事実なら無視も出来ない。もしタレコミが事実なら、そのガードマンは許しがたいが、どのように処置したらいいかが難しい。ガードの会社に言って、ガードマンを替えてもらうことも出来るだろうが、今度は彼から恨みを買うことになる。ましてや相手は飛び道具を持っている。会社の総務部長Tに相談してみると、メイドのMに1か月分の給料を渡して辞めてもらうのが一番良い、ということになり、私もそのアドバイスに従うことにした。Mはやがて何も言わずに去って行った。彼女はとても良く働いてくれていたので、何とも後味が悪かった。
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June 12, 2005
ビレッジのゲートから私の家(社宅)までは100メートルほどだ。どこの家も同じような造りだが、ドアの前が少し広くなっていてそこには2台分ほどの駐車スペースがある。さて、我が家の駐車場では・・・なんと宴会が繰り広げられていたのだ。どう見ても我が家のメイドRが中心になって振舞っている。Rは私の姿を見るとすっかり慌てて、聞きもしないのに例によって猛烈な勢いで言い訳めいたことを並べ始めた。興奮してビサヤ語交じりだから何を言っているのか私には解らなかったが、何が起きているかだけは見ただけで充分に解る。7~8人位いたはずの宴会参加者は具合が悪いと勘づいて、どこかに隠れている。バーベキューの台を見れば、誰もいないところで肉や魚が煙を上げている。Rに問いただしたところ、参加者は彼女の姉妹やら従兄弟やらの類である。肉や魚は皆が持ってきた物だと言い訳をしていたが、そんなことはあるまい。かといってそうでない、という証拠も無い。
我々日本人駐在員は一旦会社に出てしまうと夕方までは帰らない、という状況を利用されただけなのだが、購入品についてのチェックがほとんどされていない、ということも良く観察していたのだ。私はついでに今日入荷したはずのルスタンスからの食材を見るために冷蔵庫を開けた。もはや驚くこともなかったが、大型冷蔵庫にぎっしり詰まった肉や魚の量は異常に多いのだ。メイドの食べる分を考慮しても、駐在員3名の夕飯の量としては異常だ。米は階段の下に保管しているが、ここには我々のジャポニカ米が10キロのほかフィリピン米がその3倍くらいの量で保管されていた。
以後、食材の注文は必ず私に出すように、という私の指示にRは頷く他なかった。今回のタレコミの元は恐らくもう一人のメイドMだろう。なぜなら、宴会の場所にはMはいなく、家の中で掃除をしていた。メイドにも序列があって彼女は宴会には入れてもらえなかったのだろう。Mはいつ見ても掃除や洗濯、アイロンがけ、食器洗いなど、良く働いていた。が、このメイドMについても後日タレコミの手紙が来た。フィリピンの人たちはこと左様にタレコミが好きなようだ・・・
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June 10, 2005
食事の材料とかは、メイドが必要な食材をメモに書いて、ドライバーに渡し、ドライバーが総務のJという女性に渡す。彼女はルスタンスというデパートに発注し、ルスタンスは概ね翌日に配達する、という仕組だ。大体1週間に1回の発注だが、この金額は一人分1ヶ月あたり2,500~3,000ペソくらいで、米や味噌など特殊な物は別途購入した。現地の物価からして少し高い気もしたが、メイドも食事は摂るからまあこんなものかな、と思っていた。ところでフィリピン人には面白い思考形態があって、誰かがいい思いをしていると、その者について悪い情報を流す物が必ずと言ってよいほど現れる。これも一種のクラブメンタリティだ。
ある日、私宛に1通の手紙が届いた。曰く、メイドのRは肉や魚をいつも余分に買い、自分の家に持って帰っている、というのである。さもありなん、とは思ったが、証拠をつかむのは難しいだろう。
ある日、仕事上の所用でセブ市内に出たとき、ふと家に立ち寄ることを思いついた。ちょうどその日はルスタンスの食材配達の日でもあるし、時間も12時を少しまわったところで彼女たちは昼食をとっているかもしれない。日頃彼女たちがどんな食事をしているのかも見てみたいという興味もあった。ドライバーのDに家に立ち寄りたい、と伝えた。さて、我が家の駐車場についたとたん、ある光景を見て、私は仰天してしまった。
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June 08, 2005
料理を担当するメイドRは家が近く、住み込みではなく通いだ。朝食を作るため朝は5時にやってきて、夕方は6時の業務終了だ。初めのうちは確かに忠実にこの時間に来て朝食の支度をしていたかの様に見えた。さて、ある時期から運動不足解消のため、私は朝5時過ぎに起きてビレッジ内を早朝散歩することを始めた。その初日からあることに気がついた。食事のメイドRがいない。ところが朝のハムエッグと味噌汁は出来ている。掃除担当の18歳のメイドMに訪ねた。ハムエッグは君が作ったのか?と。当然のように「そうです」とM。何とRは飯炊きのみならず、ハムエッグと味噌汁を作ることさえMにやらせ、自分は悠々と重役出勤?していたのである。Rは6時少し前になってやってきた。我々日本人スタッフは測ったように6時に起きてくるのを知っていて、何と毎日5時45分に出社?し、まるで自分が調理したかのように給仕していたのだ。私が散歩中にゲートの前で見かけたとき、例によって、いつもは5時に来ているが今日は夫の病気で家を出るのが遅れジプニーが捕まらず、たまたま今日は遅れた、とか。誰も信じません。じゃ、なんでハムエッグはあんたはいなくても出来てるんだよ。いつも作らせているんでしょ。何とこの国ではメイドでも使う側と使われる側に分かれてしまうのだ。日本でも昔ありましたね。自分より下の身分の者がいると社会全体としては丸く収まるとか。Rの所業はこれだけではない・・・
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June 06, 2005
日本では、どんな人も少なくとも‘表面的には’平等に扱われる。フィリピンは明らかに階級社会だ。そしてそれぞれの階級の垣根はかなりはっきりしている。会社の事務所の中でも随所で見て取れるし、日本人はその中では間違いなく上流社会の人として位置している。会社の中の所謂OLたちが、自分たちより明らかに下の者として見ている階級がある。会社の中では現場作業者、ジャニターと呼ばれる掃除人、社有車の運転手、会社の外ではカラオケガールとメイドである。そして驚くことに、そのメイドにも格差があるのだ。
私が住んでいた寮は私を含めて3人の日本人が住人である。メイドは2人居た。一人は料理を作るメイド、もう一人は掃除洗濯専門のメイドである。料理のメイドはメイド暦ン十年と言わんばかりのこの世界を知り尽くしたと言わんばかりの小太りのおばさん。掃除のメイドは18歳で英語も怪しい娘だ。給与は料理のメイドは月2500ペソで掃除のメイドは1500ペソである。やる仕事が違うので給料が違うのだ、くらいにしか始めのうちは私も認識していなかった。ところがそういう違いではなかったのだ。彼女たちなりの身分の違いなのだ。家の人達が喜ぶ料理を作れるというのは、上級メイドとしての地位を示しているのだ。
ある時、いつに無くご飯が堅かった。料理のメイドにちょっとクレームをつけた。彼女は私がクレームをつけた以上の剣幕で掃除のメイドを叱りつけていた。なんと、自分が楽をするために、料理のメイドは掃除のメイドに飯炊きをさせていたのだ。私は、飯炊きはあんたの仕事でしょ、とたしなめたら、今度はビサヤ語混じりの猛烈な勢いで言い訳を機関銃のようにまくし立ててきた。分かった、分かった、明日からちゃんと飯を頼むよ・・・
それにしても、他のことでもこの料理のメイドはずる賢かった。
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