October 03, 2006
先の台風Milenyoに関する情報は既に多くのブログでも取り上げられてるので、状況はフィリピンファンの方なら既にご高承の通りである。マニラの吉田様からも写真が届いたが、中でもフィリピンらしい光景と感じられる1枚である。
被害の大きさは、最大瞬間風速100M以上だったそうだから、今回は雨もさることながら、風の被害が大きかったようだ。それにしてもフィリピンの木は根張りが浅いせいか、風に弱い。日本の木は強風で枝が折られることはあっても、根こそぎ倒されることは滅多にない。報じられている限りでは、亡くなられた方は数十名というが、報じられている写真などからは、よくそれくらいで済んだ、とも思ってしまう。
さて、写真から感じ取れることは、起きてしまった事はそれはそれとして、既に前向きな活気が感じられる。それはそれでこの国らしくて良いのだが、また次の台風が虎視眈々とフィリピンを狙っている。油断することだけはないように。
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September 05, 2006
日系企業はどうしても日本語を理解できるフィリピン人幹部が欲しい。なぜなら一般に製造業で特に製造畑出身者は英語が苦手だからだ。そうなると、企業内で日本語の習得を奨励することになる。
一方のフィリピン人も日本語のレベルが上がると給与だけでなく、昇進のチャンスも大きくなるので、言語習得をしようとする者が案外多いのだ。ところがここから先がやはりというかフィリピン流。毎週2回会議室を使って、派遣されてくる日本人講師が指導を行う。
熱しやすく冷めやすい、この面ではフィリピン人は日本人より数段上を行く。以前より日本語講座は幾度となく行われ、少なからぬ出費を重ねてきた。始めのうちは良い。参加者は概ね全員が参加しているのだが、だんだんと顔を出さなくなってくる。1度ならまだしも2度、3度サボれば出にくくもなる。ついていけないからだ。
ある講座から、やり方を変えた。基本的に全額会社負担のスタンスは変えないとしながらも、ペナルティを設けた。当初は参加者全員がそれで構わないと言っていた。1回欠席したら1回分の費用は自己負担にして、会社にキャッシュバックするというシロモノで弁護士も問題ないという。
これなら欠席者も出ないだろうと、ある日教室を覗いてみた。なんと居るのは講師一人。当初7~8人で始まったものの、最近は2~3人の参加者と聞いて、総務の者に聞いてみた。
「ちゃんとペナルティは集めているのか?」
「いやー、そのはずだったんですが、M部長が仕事で忙しい人からペナルティを取るのはおかしい、って言うもんですから・・・」
何をやっても最後は骨抜きにされる。ホント悲しいほど日本人とよく似ている。
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September 01, 2006
日本語レベル試験の受験者リストが出てから、彼Y部長の落胆振りといったらなかった。平均的な日本人の場合、落ち込むとプライドも一緒に沈んでしまう。ところが、そのような場面でもフィリピン人はプライドまでダウンしてしまうことはない。
彼はその日の朝から私とは口を聞こうとしない。指示や命令にはただ頷くだけで、やることはやるがコミュニケーションを拒否していることは明け透けに分かる。見ようによっては非常に子供っぽい。が、しかし、日本人ではない。どう受け止めているのかは、我々の感性だけで推し量り決め付けては物事は解決しまい。
「J課長の試験のことで何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
彼は待ってましたとばかりに堰を切ったように捲くし立てた。
「自分は読んだり書いたりは出来ないが、日本人の言っていることはほとんど理解できている。J課長よりも本当の理解力は自分の方が勝っている。彼の方がレベルが1ランク上になるのはおかしい。」
このとき思った。フィリピン人は単なる駆け引きの自己主張ではなく、本当にそう思っているのだ。客観的に自分を見つめることが出来ない、或いはそうしないということは時には強みでもあるが。
フィリピン人と表面的に仲良くなるのは日本人なら誰でも出来る。彼らが建前上日本人を尊重してくれるからだ。でも、そこから先は案外大変だ。
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August 31, 2006
情報システム部のF課長は何かと器用で日本語もかなり理解できる。学校に行って習ったわけでもなく、独学で学び、「山」とか「川」、「会社」とか「仕事」とか良く見かける漢字くらいは識別できるまで身につけていた。このあたりはフィリピン人の学習能力の高さで、日本人は逆立ちしても敵わない。彼は日本人に話しかけるときは一生懸命日本語で話しかけた。
さて、彼の上司のY部長。彼も簡単な日本語の単語、特に仕事でよく使われる言葉は聞き分けられるレベルであり、専門用語は日本語でどう表現するか知っている。聞いている方も専門用語が日本語できれば、何となく言わんとしている事は理解できるが、残念なことに会話としては彼は日本語を話せるレベルにはない。彼が日本人に話しかけるときは、キーワードは日本語になるとしても、文全体としては英語でしか話せない。
この二人は日本語手当てはそれまで同じレベルにランキングされていたが、どう客観的に見ても部下のJ課長のほうが日本語能力は歴然として高い。たどたどしいながらも文全体としては、彼の場合は日本語になっている。この年はJ課長に1ランク上の手当てになるチャンスを与えようと、面接試験を受けさせることになったのだった。
さて、プライド高いフィリピン人、部下の挑戦を激励するどころか、Y部長は黙っていなかった。
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August 30, 2006
海外駐在員とはいえ、誰もが英語に堪能なわけではない。特にフィリピンに来る駐在員はカタコトの英語すらも備えていないことが多い。Pパブの延長線か、日本語で押し切ろうとする人が案外多いのがこの国に来る日本人のティピカルなパターンである。このような状況で仕事をしても出来る領域は限られる。
そうなると必要となるのは日本語が達者な現地人である。事実彼らの給与はかなり高額である。それだけの給与を払ってでも必要なわけだ。しかし、彼らの高給の理由は日本語を理解できるということだけではないにせよ、現地人同士の足の引っ張り合いの会話は随分と聞かされた。ダイレクターの略称のDIはダイレクト・インタープリターだとか、現地人同士では陰口を叩いて瑠韻を下げていたりしているのだ。これも一種のクラブメンタリティである。日本語が出来るローカル社員と、日本語は出来ないが仕事は優秀な社員との間では、心理的に案外大きな溝があるのだ。
会社では日本語の理解度によって、ランク毎に手当を支払っていた。MEPZの会社ではよくあることである。試験は毎年1回のチャンスである。その年も例年通り、上司が推薦するという形でその時期がやってきた。私が管轄する部署でもマネージャを推薦するなら、私が推薦、ということになる。が、この年はひと悶着あった。
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June 13, 2006
日本人が気前がいい。金を持っていながらケチケチすることはどうやら大和民族の美徳に反するようである。当然、その懐にはフィリピン人の熱い視線が注がれる。
セブカントリークラブのキャディLは腕前もなかなかで、しかも陽気で底抜けに明るい。ゴルフクラブのちょっとした修理もやってのけてしまうし、なかなか便利なユーティリティボーイでもある。そんな彼も時々金の無心をしてきた。言い訳は大概は家族の入院であるが、子供の誕生日というのも時々はさまる。が、申し訳ないことに私は記憶力は比較的あるほうである。
「Mr.○○, today, It’s my wife’s birthday. But…アコ、カワイソ…」
ん~、確かこの前も・・・
「Oh…you are so happy! Two wives? You told me the same thing last month!」
一瞬慌てていたが、悪びれた様子もない。
「Ah, no no, Last time, that was my daughter’s birthday!」
既にバレていることは、彼も気がついているが、それでも屈託なく「アコ、カワイソナ~」を連発している。
2ヶ月に1度くらい、こんなやり取りの挙句、キャディフィと併せて500ペソほど渡すのが流儀であった。
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April 20, 2006
March 09, 2006
まあ、会社のカネに手をつけている訳ではないので可愛いものだが、このくらいのことは彼らは当たり前のようにやる、ということだろう。
フィリピン航空もマイレージサービスを行っていて、使いこなしている人も多いことだろう。丁度私が赴任する前からPALもこのサービスを始めていた。総務部に所属するJは私のマイレージカードの申し込みをするから、と言って申込書を持ってきた。サインをして私はその申込書をJに戻した。物忘れを得意とする私の頭からは以後このことは消え去ってしまった。
1年近く経って、日本に出張するにあたり、まだカードが届いてないことを思い出し、Jに尋ねた。
「おいおい、もう1年も経ったのに、カードは未だ来ないのか?」
「申請したけど、まだ届きません。ここはフィリピンですよ。」
「ふうーん・・・」
確かにその頃申請した運転免許証もまだ来ないし、そんなものか。じゃあ、他の日本人スタッフはどうなっているんだろう。自分より前にアプライしている者だっている訳だし。と思い、数人に聞いてみると、誰もカードを受け取っていない。そんなに時間がかかるのはおかしいぞ・・・
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March 07, 2006
お金持ちの人をもう一人。フィリピンで弁護士と言えば、悪い奴という見方もされている一方、非常にスマートで紳士的な方もいた。D氏は父親がレバノン人で風貌もやや欧米系に近くガッシリした体格であるが、物腰は非常に穏やかである。かつて上院議員にも立候補したが、こちらの方は思いを果たすことはなかった。
彼の邸宅は高台というよりも山の上にある。マリアルイサから入り、ひと山超え、再び登り返し相当登ったところにある。敷地は5千平方メートルほどで母屋と東屋風の建物があり、敷地の東寄りには展望台のようなテラスが配置されていた。目の前には遮るものはなく、トップスに引けをとらない眺望が欲しいままである。
ディナーでは前菜は美しい夜景を眺めながら戴き、メインディッシュは母屋に移動すると言うのが彼のもてなしの流儀である。
彼のご子息もまた見るからに上品である。彼もまた人材派遣会社の社長であり、副業で「東京ボウル」という日本食レストランもやっていたことがあるが、「味がどうやっても日本人の好みの味にならず、すぐにやめた」そうだ。
このような邸宅は羨ましいと思う一方、大きなソファーに座っていてもかえって落ち着けないものだ。やはり自分にはウサギ小屋が合っているようである。
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March 04, 2006
フィリピンで金持ちといえば高級ビレッジに住む人達が想像されるが、桁外れな金持ちはまた違ったロケーションに居を構えている人が多いそうだ。
ある船会社のオーナーの誕生日パーティに招待された。邸宅はノースタウンというビレッジのさらに上にあり、入り口は車両の往来の多い道路沿いに面している。ここはしょっちゅう通っていたところであるが、外からは中が窺い知れないほど高いコンクリートの薄汚れた壁が立ちはだかり、気にもしていなかったところだ。さて、煤けた鉄の扉の中に入ってびっくり。豪邸の構えもさることながら、敷地が非常に広く、手入れの行き届いた芝で埋め尽くされ、池が配置されている。屋外のパーティ会場ではすでに200~300人位の参加者がすでに談笑している。立て続けに様々な人達を紹介されたりもしたが、今となってはどんな人達だったか、覚えていない。
聞いたら、メイドは20人、ガーデナーも7人居るそうな。高台にあるため、マクタン方面の夜景も望むことができる。薄汚れた高い塀に囲まれているのは一種のカモフラージュなのだろうか。
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March 03, 2006
牛丼はなかなか好評だったが、もうひとつ大好評だったのはハヤシライスである。こちらの方は牛肉はローカルビーフでもどうにかなる。まあ、はっきり言って素材のチョイスよりはルーで決まってしまうからである。
舞台は会社の同僚で購買課長A氏宅である。参加者は管理部門の他のマネージャたち。A氏宅はゴルフ場(アルタビスタ)のすぐ下にあって、急斜面ながら閑静な住宅街である。因みにこの辺りは良質の地下水に恵まれていて、蛇口の水もそのまま飲むことが出来る。
さてハヤシである。酸味の利いたこの風味はフィリピン人の味覚に相当あっていると見えて、環境課長のL氏は鍋の中に顔を突っ込んでは、もう堪らないと言った顔つきである。煮込んでる時間はやることがないので、テラスでビール、となる。こんな時に枝豆はやはり便利だ。フィリピンでは馴染みのない豆ではあるが、彼らにとってもビールのつまみに丁度いいようだ。
頃合を見て、A氏の奥さんがハヤシの鍋とライスを持ってきた。10人前のハヤシはアッという間になくなったのは言うまでもない。
ところで日本人の国民食とも言えるカレーであるが、これは評価が分かれた。フィリピンでもカレー風味の料理はあるのだが、日本のカレーは香りがもっと強い。ゴム臭いと感じる人が結構いたようだ。
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February 18, 2006
南レイテ州の大規模地な地滑り災害は想像を絶するほどの状況のようだ。私もレイテ島を訪れたことがあり、今回被災地となったセントバーナードの手前のバイバイという町まで行ったことがある。落ち着いた小さな町が点在するのどかな島だ。
昨夜、セブにいる知人のA氏にお見舞いのメールを送ったら、今朝返事が届いた。彼は今はセブの住人であるが、出身はレイテ島である。彼のプロビンスはレイテの南部にある、と聞いていたので、心配になり昨夜メールを送っておいた。
彼の実家は今回の被災地から15km東にあるアナハワンという町だそうだ。彼が帰郷する時は必ずセントバーナードを通る。アナハワンでは直接の被害はないものの、けが人や被災者の関係者で相当の混乱に陥っているそうだ。また、現地を見た人の話では、全てのヤシの木がすっぽり埋まるくらい泥で埋め尽くされているという。また、あちらこちらにバラバラになった体の部位が散乱しているというから、衝撃の凄まじさも相当なものなのだろう。遺体の収容と特定すらほぼ不可能な状況なのかもしれない。
彼からは、あの辺り一帯は海岸から山のてっぺんまでヤシの木で埋め尽くされている、と聞いたことがあるが、ヤシ以外の木は伐採されてしまっていたということか。災害の原因とも言われている。
彼は月曜日に、パルドの近所の人達からのドネイションも預かり、アナハワンに向かう。お見舞い申し上げるとともに、私にも出来ることはないものかと思う。
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February 05, 2006
日本では、子供たちは手放しに性善説でとらえられている。でも果たしてどこまで何歳までが子供なんだろう。私の見た限り10歳ぐらいにもなれば、子供だって駆け引きをするし、不都合な話は意図的に隠すし、嘘もつく。性善説一辺倒で見ても間違いないのは5~6才位までだ。
フィリピンではどうだろう。見たところ子供たちは誰に対しても屈託なく、人懐っこい。私はマクタン島内の小学校を訪れてみた。大した目的はない。写真を撮りたいと思った
加工区に程近いこの小学校に行くと、カメラを持っているというだけで、早速子供たちが群がってくる。頼んでもいないのに思い思いのポーズをとっている。先生たちもわざわざ授業を中断してくれて、授業中の撮影まで許可してくれた。
いきなり行って全く怪しまれず、こんなことでいいんだろうか?それにしてもみんな目が輝いている。これはフィリピンの子供たちを見た多くの日本人が共通して感じることであろう。
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February 02, 2006
以前私の部下だったA氏が、最近当局の許可を得てバージンココナッツオイルの製造を始めた。まだ小規模な“家内制手工業”の類らしく、1日10リットルにも満たない生産量のようだ。彼はレイテの出身で、良質のココナッツが大量に安く入手できるので、そちらでやがては工場を建てたいらしい。乾燥させたコプラを原料とする普通のココナッツオイルに比べて、化学薬品類が一切含まれていない製法なので、天然の手作りオイルだ。(このあたりはセシリアさんの方が詳しそうだ)
そんな彼が、最近私にサンプルを送ってきた。日本で売れないか、ということだと理解した。楽天の店舗を覗いて見ると、既にネット販売している業者さんもいるようだが、しかしそんなに売れてるようにも思えないし。(売値が高すぎ?)
貰ったサンプルをドライヤーで溶解し(24度以下では固形)、料理で使ってみたところ、ちょっと無理かな・・・ホットサンドとホットケーキぐらいはまあいいか・・・ 他にアイデアがなく、数日放っておいた。
今年の冬は寒さが厳しく、ハンドクリームを塗ってもすぐ手がカサカサになる。そこでこのオイルを手に塗ってみることを思いついた。台所にあるサラダ油を手に塗る人はいないが、バージンココナッツオイルはマッサージオイルとして地球博のフィリピンパビリオンで紹介されていたのを思い出し、やってみた。結果、これが非常にいいのだ!塗って暫くは油っぽいが、数十分もすると浸透するのか、しっとり、それでいてサラサラになる。ひび割れていた手が見違えるようだ。ウーン、これはひょっとして・・・でも、食品衛生法や薬事法もあるし・・・それにマーケットの入り口を押さえていないようではね・・・
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November 11, 2005
かなり(15年くらい?)前に「ウォーリーを探せ」というものが流行ったのを覚えているだろうか。フィリピン人の視力という点で、もうひとつ付け加えておきたいのが識別能力だ。工場の現場でのスペックアウトを見つけるのは視力もさることながら、視覚的に見分ける能力が高いからではないかと思う。彼らならいとも簡単にウォーリーさんを見つけてしまうだろう。
彼らのこの能力は、現地駐在日本人にとっては悩ましいものがある。どこにいても見つけられてしまうのだ。ここまで言えば、何が言いたいかお分かりの通りである。日曜日のシューマートやアヤラセンターなどは、地元の人達は買い物の目的がなくても他に行くところがないから、大勢やってくる。こんなところに彼女を連れてやってくれば間違いなく誰かに目撃される。そう、我々はウォーリーさんなのだ。彼らの高い識別能力の前ではサングラスをかけたくらいでは全く歯が立たない。そうなれば新幹線並みの口コミスピードで会社内でたちまち噂が広まってしまう。彼女を連れてショッピングセンターに行くことは“自殺行為”と言われ、どうしても連れて行かざるを得ない時は、開店後1時間が勝負と言われていた。またはガイサノカントリーモール(ガイサノマクタンは×)は比較的穴場だったようだ。
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November 09, 2005
フィリピンではメガネをかけている人は少数派だ。眼鏡は日本よりは安いとは言え数千円はするわけだから、購買力の問題で使っていない人もいると思うが、事務所の中でも40人中3~4人くらいだった。工場のオペレータに至っては殆どゼロ。これは視力が良いことを条件に採用されているわけだから当然と言えば当然だが、そんな条件に合致した人達がゾロゾロ居るということだ。
ゴルフ場のキャディもそうだ。キャディのLには申し訳ないが、私のような下手くそはどこへでもお構いナシに打ち込む。それでも彼はどんな林の中でも草むらの中でも、落下地点が正確に見えていて、一直線でボールに辿り着く。夕方薄暗くなった時でもそうだったから、暗い中でもよく見分けがつくようだ。
暗くても見えるという点では、私の部門にいたJもその一人。彼は日本人が出入りしそうな夜のスポットに彼自身もよく出没していて、誰がどこに誰と居たか、といった情報に長けていた。彼によると、夜の暗がりでしかも真っ黒い窓ガラスの車中をも見通すことが出来るそうだ。
「ワタシ、キノウ、ヨル、ミスター○○ガ△△デ、キレイノ、オンナノヒト、クルマデ、イショニ、イルノ、ミマシタ。」
彼は片言とはいえ、かなり日本語を理解する。
「夜、車の中が見えるのか?」
「ハイ、ワタシ、ミエマス。」
お陰で同僚の秘密も随分と握ってしまった。私のことに関してはどうかって?当然飲ませ食わせで懐柔しておいたことは言うまでもない。
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October 28, 2005
『フィリピンで生まれて直ぐに日本人の父親が・・・。』というストーリーのG♂氏編である。
僕も夜のクラブ活動においてのみ「ここは!」という時にその“術”を使っていました。この高度な“術”をかわした者はいませんでしたね。“術”の効果は素晴らしく、彼女たちの心の優しさ(情け?)を引き起こし親近感がグッと高まったものでした。そして頃合いを見て“術”を解くと、あまりもの巧妙な“術”にまたまた場が盛り上がるという相乗効果を得ていました。この“術”を修得するには、少なくとも現地人っぽい風貌の持ち主であることが必要条件であり、誰もが使えるわけではありません。僕の場合は・・・
いったい何度、フィリピン人に間違われたことでしょうか。
・現地の工場に○○電工様が2名来社され、僕が応接室に入室の時のこと。
「こんにちは。お世話になります。」と笑顔で挨拶する僕。
すると、○○電工様が
「日本語、すごくお上手ですね。」と。
「あのー、わたくし日本人でございます。」
「あっ、これは、大変失礼致しました!」
○○電工様2名、ご起立されて頭を下げられたのでした。
・同じく日本に出張時、とある町でバイキング式カラオケ・パブへ会社仲間と行ったときステージでEnglish songsをメインに歌いきっての帰り際、店のママが
「日本の歌もよくご存知なんですね。」
仲間連中、ママのその言葉にみょーに納得。
と、不埒な日本人を演じるに十分な必要条件は整っていたようです。
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October 26, 2005
このブログに度々登場するU宮氏は運転免許証の国籍に“フィリピノ”と記載されているだけあって、外見はフィリピン人で通用する風貌だ(目は二重ではないが)。彼は悪戯心も十分で、フィリピン人になりすまして、相手の反応を楽しむという趣味を持っていた。彼によると・・・
○○会社の現地工場設立当初にトレーニングセンターと称して加工区の賃貸工場で生産を始めた時期に、すぐ隣の“C”という会社の従業員から『○○会社には日本語をパーフェクトに話す現地人スタッフがいる。』という噂が広まり、僕は『そんなやついないよな?』と思っていたが、それが自分のことだと聞いたときにはびっくりして、そして何故か嬉しくなった思い出がある。
それ以来僕は『生まれはフィリピンですが、学校を卒業するまで日本で育ちました。英語は少し不得意ですが、日本語は問題ありません。』ということにしていたのだ。そして名刺を差出すと日本人の名前なので、そこで初めて本当のことを伝えるようにしていた。相手が怪訝な顔をしたり、安心したりする表情の変化は見ていて楽しかった。
もちろん夜のクラブ活動ではおなじみの『フィリピンで生まれて直ぐに日本人の父親が・・・。』というストーリーだ。彼女たちの困惑した表情を見て楽しむための他愛ない戯言である。
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September 13, 2005
フィリピン人は日本国内では残念ながら今ひとつ信用されていない。では、フィリピン人によく似た日本人の場合はどうだろうか。このストーリーは仔細に関する信憑性という意味では3割引くらいで読んで欲しい。
U宮氏は研修生を連れて洋々と久しぶりの帰国。成田で入国審査の際、引率メンバーに対し彼は
「いいか、オレと同じようにやればいいから。」
とお手本として先頭でU宮氏がパスポートを提示。すると・・・、どーしたことが彼は腕を掴まれ空港内officeに連行されてしまい、研修生のメンバー達は突然の出来事に唖然としたまま取り残されてしまった。
「なんでオマエは日本のパスポートを持っているんだ?」
審査官はU宮氏をその風貌からフィリピン人グループのリーダーと失礼にも見誤ってしまったのだ。なんせ、研修生グループにはうら若き女性オペレーターも複数いたことから、余計な疑惑がU宮氏への見誤りに拍車をかけてしまったのだろう。
申し訳ないが、彼の風貌からは、間違えて連行した空港係官への同情を禁じえない。
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September 01, 2005
「フィリピンは三度泣く」マレーシア支局のU宮氏からちょっと変わった話が届いたので、ご紹介まで。氏は以前にもこのブログでご登場願ったのだが、今はボルネオ島の小さな町の日系企業駐在員だ。内容は私が経験したわけではないが、信頼できる情報と確信。
先日この小さな町でも風呂屋さん見つけました。(シャワー室程度ですが) 散髪をしたいと思い、中華街に行ったところガラス張りのオープンな散髪屋さんもありましたが、同じ一角に『男性美髪院(Hair & Beauty Saloon)』と大きな看板が目に付き薄暗い階段を2階に上がりました。なんとなく怪しげかな?とも思いながらガラス製のドアを開けると、散髪用の専用椅子が3台、薄暗いのですが綺麗に掃除されており店番のおばちゃんが出てきました。『散髪してください。』というと『散髪はやってないけどマッサージはいかがですか?』という返事。やばそうだなーと直感!
帰ろうとすると3人ほど女性が現れ『グッドマッサージよ!私にする?彼女でも良いわよ。』『いくら?45分で1800円(60リンギット)なり』・・・。別室に案内されちゃんとしたマッサージ、終わる間近に特別サービスのご案内・・・。という具合でした。よく肥えたおばさん(熊みたいと表現しますが)から誘われても・・・。もう少しカワイ子ちゃんだったらすぐにOKだったのですが・・・。やっぱりだめかな!!!???。中国や香港にある『黄色い看板の散髪屋さん』と同じでした。中国系マレーシア人が人口の25%を占めるため同じような文化なのかなと思います。
本当の散髪屋さんでの料金↓
散髪 210円(7リンギット)、洗髪と髭剃りもお願いして15リンギットというところです。赴任当初はヘアーカットコンテストでの優勝者がカットしてくれる美容院に行きましたがシャンプーセットで50リンギットしました。
不埒な生活を夢見ているのに、願いが叶えられない、と嘆いているU宮氏である。
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August 22, 2005
フィリピンの人達はパーティが好きだ。そして徹底的に楽しむ。考えてみれば日本人のパーテイは形式的なことが多い。楽しむために参加するというより、主催者に対する義理で出る、といった感性が捨てきれない。
まずお祈りから。これは宗教的なものであり、現地では我々も従うだけである。そして幹事が挨拶し、主賓者らしきものが続いて挨拶する。こう言えばわが国とほとんど変わらない。明らかに違うのはスピーチ。義理で渋々定番のフレーズを喋っているのか、ここぞ自己PRの場と捉えて自信満々に話すのか、ということだ。どうして彼らのスピーチが自信に満ちた魅力的なものに見えてしまうのか。
様々な人達のスピーチを聞き、そしてその人達の行動を見て合点がいった。日本人は恥の文化に染まっているから、言行一致を旨とする。日頃の行動と真反対のことはなかなか言えないものだ(最近そうでない人も増えているようだが)。しかしフィリピンの人達にこの感性を求めるのはナンセンスである。彼らにとってはその時のパフォーマンスが最重要課題だ。だから中身でなく、如何にスピーチが勇ましく格好良かったかがポイントなのだ。大げさなジェスチャーも交え、まるで大統領にでもなったかのような振る舞いだ。日頃の仕事のパフォーマンスはスピーチで喋っていることとズレまくっているのに、スピーチそれ自体は私のものより断然カッコいい。
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August 20, 2005
日本国内では自殺者の数が年々、増大の一途である。特に中高年の男性に多いそうだ。様々な理由はあるにせよ、自らの力ではどうすることも出来ないと判断した挙句の、追い詰められた最後の苦渋の選択だ。しかも責任感の強いタイプに目立つと言う。
大体において、最近の日本人は何か不都合があると、誰の責任だ!とやたら他人を追い詰める。じゃあ、その正論を振りかざしているやつは毎日立派な所業で暮らしているのか。
正論で有利な立場に立った者は鬼の首を取ったように刀を振り回す。マスコミの論調も大体においてそいつらの味方だ。まあ、これは会社の中でもよくあることだ。
さて、フィリピンでは。何か不都合が起きても、仲間内なら「仕方ないさ」。これが良く見られるコンクルージョンだ。失敗をシデカシタ仲間は全体でかばう。厳しさが薄いから同様なことは何度でも起こる。
日本語が達者なマネージャに尋ねてみた。
「ビサヤ語で“反省”ってどう言うの?」
暫く考えて、彼曰く、
「Reflection!」
「それは英語だよ、ビサヤ語では?」
「・・・ビサヤ語には無いかも知れない・・・」
反省をするという概念がないから、元来その言葉がない。複雑な気持ちだが、日本人も少し真似してもいいかも知れない。(中にはフィリピン人以上のレベルで実践している厚顔の諸先輩もいるが)
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July 21, 2005
翌日は何事もなく過ぎた。誰でもそうだが、こんな時は1日が過ぎるとほっとするものだ。どちらかといえば楽観的なG♂氏にも既に笑顔が戻っている。
が、しかしやはり、というべきか。2~3日ほどして‘被害者‘は会社にやって来た。事の次第は聞いているので、私は総務部長のTに言って、万が一彼がG♂氏を訪ねてきても、彼には会わせないよう話してあった。実際の対応はT部長の部下のC課長が当たっていた。治療費を貰いに来たと言っていた様だが、最後には簡単に諦めたようで、彼は去っていった。T部長の推測では、「相手は日本人だし、行けば金をもらえるだろうと、周りの人が焚きつけたんだろう。怪我をしたので1週間くらい働けないとか言っていたが、随分とぴんぴんしていたようだし、800ペソも渡したのなら、No need to pay.」似たような例は山ほどあるが、もらえれば儲けもの、くらいの感覚で様々な人達がカネの無心で会社にやってきたものだ。
G♂氏は、それ以来数日は「今日は大丈夫ですよね?」「今日は来てませんよね?」と用心深かったことは容易に想像できよう。
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July 20, 2005
どうやらこんなことのようだ。夜中にマンダウェの大通りを運転中に、横から飛び出して来た自転車のトライシクルと接触した。その弾みでトライシクルは横転し、運転していたおじさんももんどり打って地面に転がった。
「今どこだ?」
「ブリッジからタランバンに向かう途中です。いつの間にか大勢のギャラリーにまで囲まれてます。」
「じゃ、今から出よう。」
「あっ、でも大丈夫そうです。おじさんも怪我は大したことなさそうだし、もう、トライシクルを起こして、壊れてないかを見ています。金もあるし、もし揉める様なら、また電話しますから、その時は来てくださいね。」
30分くらいして彼は帰ってきた。
「いやー、一時はどうなるかと思いましたけど、無事に何とかなりました。おじさんも結構ひどい擦り傷だったけど、それよりも彼はトライシクルの方を心配そうに触ってました。」
「で、結局いくらかかったんだい?」
彼は満面の笑顔で、
「笑っちゃいますよ、いくらだと思いますうー?要求してきたのはたったの300ペソですよ!300!トライシクルの修理代と言ってました。だから僕は財布から300ペソを出そうとしたんです。そうしたら、ポロッと500ペソも一緒にくっついて飛び出てこぼれちゃって、ギャラリーがそれも出せ、それも出せ!って大合唱するから、しょうがないからそれもあげちゃいました。それでも800ペソですからね。いいんでしょうかね?こんな金額で。」
と、ほっとした気持ちもあってうれしそうなG♂氏。
「ところで、会社と名前は言った?」
「何かあったときのために、一応名刺は渡しておきました。」
「そりゃ、近いうちに会社にくるんじゃない?」
「えーっ、会社に?そうなんですか?」
急に彼の顔から笑顔が消えたことは言うまでもない・・・
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July 18, 2005
人には様々な才能がある。緻密に物事をこなす人。どんな苦境も柔らかく受け流す人。特殊な分野で想像もつかない発想を出せる人。今回登場するG♂氏は余人を持って変えがたい特質を持っている。まずは桁外れの馬力がある(昼も夜も)。何をやっても悪意がないので、やることなすこと誰からも肯定的に受け止められる。これは組織の中で仕事をする上でアドバンテイジャスなポイントだ。この特質はフィリピン在住時に如何なく発揮されていた。自ら壁を作り、フィリピン人社会に積極的に飛び込もうとしない尻込み駐在員をよそに、彼は貪欲にどんどん入り込んでいった。そしてどこへでも行った。
彼とはほぼ1日おきくらいにカラオケに行った。カラオケに関しては彼ほどのエキスパートはいなかった。セブに当時何軒あったか知らないが、ローカルの店を含めて彼は30軒以上は踏破していたはずだ。我々はMというグアダルーペにあるカラオケによく行った。
彼は非常にマメなタイプだ。女の子にはよくちょっとした品物を持参していたし、彼女たちが好きな話題にも堪能だ。このあたりは小生とは大違い。小生と同じだったのは歌う歌のジャンルが大体同じだったこと。これは意外と厄介だ。「なにっ、それを歌うのか、じゃあこっちはこれだっ。」「なにっ、そう来やがったか。じゃあ、これでどうだっ。」「なんだとっ、その手があったか。」・・・延々と飽きもせず、毎回こんな調子だった。
そんな彼からある真夜中に電話で呼び出しが会った。寝ていたらメイドから起こされた。「You have a call from G♂.」12時はとっくに回っている。「大変なことになっちゃいました!ぶつけちゃいました。」「えーっ、ぶつけたって!・・・」
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July 07, 2005
帰国して2日ほど経ち、4月12日私はお礼の言葉と共に幾つかの写真をU氏にメールで送った。そしてマニラに電話をかけたが、何度鳴らしても出る様子がない。それから3日ほどして、協会から連絡があった。なんとU氏のお母様が亡くなられたとの突然の知らせだった。私もA氏も絶句した。
U氏が我々のことをアテンドしてくれていた時も、母親が入院して集中治療室に入っている、ということを我々は聞かされていた。私たちはそういうことなら我々のことは気にしなくてもいいから、と言っていたのだが、律儀な彼は「大丈夫です。」といって我々の世話をしてくれていた。コレヒドールに行く日も、「母は日に日に良くなってきているので、やがて退院できると思います。」と言っていた。彼の明るい表情からは彼自身の希望が感じ取れたので、我々も額面どおりに「それは良かったですね。一日も早く退院できることを我々も願っています。」と伝えていた。
結果的には、我々が彼の母親との最後の貴重な時間を奪ってしまったことが、私たちにとっても残念でならない。そのような状況でも気丈に息子に対して、きちんと約束を果たすようにと諭したお母様に対しては改めてご冥福をお祈りしたい。
そして彼は、今では母親の意志を継いで、現地の日系人会長を務めている。他人への気配りがあり、そして行動力旺盛な彼なら、きっと素晴らしい活躍をしてくれることだろう。A氏も何か応援する手立てはないものかと思案をめぐらしている。
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July 04, 2005
コレヒドールは5平方キロメートルと小さく、おたまじゃくしのような形で東西に細長い。島の北側からはバターン半島が指呼の間だ。恐らくA氏のお兄さんも間近に迫った運命を察することなく、今日と同じような穏やかな海と景色を見ていたのだろう。件の白鹿丸はこの島のすぐ南側を通ったと推測されている。A氏も感慨深げに遠くを見やっている。A氏は昼食後、南西方向が良く見える浜辺に下りて、持参してきた慰霊のための品を目的方向の海中に投じて、祈りを捧げた。私とU氏はこの儀式にはむしろ同行しないこととして、レストランで待つこととした。その間も彼の同僚たちは万が一に備えてA氏を背後から警護していた。
この島では日米双方と地元のフィリピン人で数万人というおびただしい犠牲者が出たそうだ。戦争の爪あとの建物や施設とともに夫々の戦没者慰霊碑がきれいに整備されて残されている。侵略者の立場となった日本人の慰霊碑も島の東端にあり、今でもきれいに整備されている。このあたりにもこの国の人達の寛容さがよく表れている。以前、当時のラモス大統領は言われたそうだ。「日本はかつてこの国を侵略したが、いいものも持ってきてくれた。日本語特有の韻はフィリピン人の言葉の教育に役立った。かき氷はハロハロと形を変え、今ではこの国の名物にもなっている。このようなことも評価しよう。」と。
我々は3時過ぎに再びフェリーに乗り込み、マニラに向かった。マニラは汚れた空気で霞んでいた。
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July 01, 2005
さて、ここでU氏のことである。U氏の母自身日系人であり、彼の祖父は日本人である。彼の祖父は、未だ日本がフィリピンを一時占領する前から米軍で日本語通訳として働いていた。まさか、こんな形で日米が戦うなどと想像もしなかったのかも知れない。彼の祖父は米軍からはあくまでも米国の為に働くよう要請されたそうだ。しかし、彼の祖父は悩んだ末、日本人としての道を選んだ。日本軍の形成が不利になり、米空軍の飛来があった時に、日本の国旗を振って「万歳」を連呼した。当然の集中砲火を上空から浴び、悲壮な最期を遂げられたそうだ。日本とアメリカの狭間でどうしようもない運命の中での悲しい結末である。勿論U氏もその場に居合わせたわけではないが、母からしっかりと話を受け継いでいる。まだ60年くらいしか経っていないじゃないか。我々日本人はこういった事実から目をそむけてはならない。
彼は心は半分は日本人だ。コレヒドールでのことである。今や観光の島となったここには多くの日本人が訪れる。目的は様々。我々が島の中を散策していた時に、とても恥ずかしい日本人がいた。年のころなら30ちょっと前。フィリピン人の若い女性を連れている。極めて断片的な日本語から察して彼女は所謂じゃぱゆきさんではないだろう。彼自身は察するところ英語はカラッキシ、と見えた。我々のすぐ目の前にいた彼は砲台がある丘でつぶやいた。「蚊が多いなあ、こんなところじゃビールも飲めねえよ。」U氏の反応は早かった。「いやならとっとと帰れよ!」。件の日本人状況を悟られたうえでの咄嗟の叱咤で慌ててしまい、今度は連れていた彼女にもつれない。全てを見抜かれている。よほどバツが悪かったらしく、フィリピン人の彼女すらも遠ざけた。連れてきた彼女に失礼だろう。コレヒドールで眠る英霊たちも今の日本人を見て、こんな後世のために命をささげたのかと、嘆いていることだろう。U氏は「私は半分は日本人です。だからあんなやつらは許せない。」
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June 29, 2005
空港で出迎えてくれたU氏はマニラ日系人会会長の息子さん(今は彼が会長:理由は後述)だ。ガッチリした体格で見るからに頼もしい24歳の青年である。今は海上警備隊の将校である。完璧な日本語を話し、敬語の使い方や相手を思いやる表現など、最近の日本の若年層が悲しいことに霞んで見えてしまう。国家警察の同僚2名が付き添いで友情出演してくれた。RさんとMさん(女性)は例により愛想のいい見るからに典型的なフィリピン人だ。我々乗せた車両は警察のクルマだ。赤色灯をつけサイレンを鳴らしながら周囲のクルマを蹴散らして走って行く。我々はVIPでも何でもないが、何か爽快な気分になってしまった。
我々は早速マンダリヨンというマニラ東部のエリアに向かった。目的は日本軍が駐屯していた跡地がどのようになっているのかを見に行くためだ。A氏の兄は海軍の気象部に属し、数ヶ月間マンダリヨンにあった駐屯地に滞在していたことがはっきりしていて、是非兄の足跡を辿りたいという強い希望を持っていた。
マンダリヨンは住宅やら雑多な建築物で埋められていて、それらしい建物は今は見当たらないとU氏は事前に知らせてくれていたが、彼は当時あった臨時の滑走路を想定し、さらに周辺の地形から、この辺りに違いない、と特定していた。そこまで彼は事前のスタディをしていたのだ。彼は言った。「母からはこう言われています。遠くから60年ぶりの肉親の慰霊に来られるのだから、充分な応対をしなさい、と。」彼が探し当てた地点は草むらの荒地であったが、比較的近くにマカティのビル群を見渡せる。A氏もきっと兄はこの辺りを歩いたに違いないと納得した。近くでは物珍しさからか地元の子供たちがどこからともなく集まり、我々に愛嬌を振りまいている。付近の人の間でも過去のことは風化しているのだろう。
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June 27, 2005
A氏は6人兄弟の6番目、末っ子として生まれ、9歳の時に終戦を迎えている。そして13歳年長の長男はフィリピン海域で在船中にアメリカの潜水艦に雷撃を受け、沈没、戦死した。1944年10月18日、北緯14度03分東経119度39分。マニラ湾の入り口に浮かぶコレヒドール島より西南西に70マイルの地点である。南方には小野田さんが発見されたルバング島がある。
予てからの念願を果たし、終戦後60年の今年こそ兄の弔いを果たしたいとA氏は願っていた。しかし、場所はマニラから200km近く離れた洋上である。相談を受けていた私はあるNPO法人の会長に何か算段はないもいのか相談をお願いしていた。ここの会長は長年にわたりフィリピンの日系人や困窮日本人への援助を行ってきていて、現地の日系人会会長の息子さんU氏を紹介してくれた。U氏は行動力があり、滞在中のあらゆることに便宜を図り、段取りをしてくれた。
海上での慰霊については、当初はセスナで現地を3回くらい周回し、慰霊の品物を上空から海上に投下しようと予定していた。しかし、セスナの安全性をA氏の周囲の方々が危惧した為、上空からの慰霊は断念し、現場に近いコレヒドール島の西側から西南方向に向かって行うこととした。協会に色々とお願いし、U氏と連絡を取っていただき、全ての段取りがついた。そして2005年4月9日A氏と私はマニラに向かった。
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