October 19, 2007
今朝の朝刊に困窮邦人が2日に一人の割合でマニラの日本大使館にやってくる、との記事があったが、今年は急増しているとか。まあ、お決まりのパターンで辿るルートだろうが、他国では見られない現象だろう。
かなり前になるが、タランバンの山の手にあるビレッジのフィリピン人の家庭のパーティに呼ばれて行った時、そこで一人の日本人にあったことがある。年齢は55~60位。このフィリピン人の家の隣の住人だ。その邸宅はなかなか立派で、安くはない建物だ。
この方曰く「うちの家内は片言で日本語が話せるんですが、私は英語もこっちの言葉も全く喋れませんでねえ。」
直感ではあるが、隣に座っていた奥さんとの間も何やら涼しい感じだ。失礼ながらこの夫婦はいつまでもつだろうか、と頭をよぎった。家の名義は奥さんだろう。
いまフィリピンでは困窮日系人の救済に陽が当たるようになってきており、様々なメディアにも取り上げられている。しかし好んで渡って行った困窮邦人に暖かい陽があたることは無さそうだ。
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October 17, 2007
ガードハウスはどこの会社も概ねメインゲートにあり、その職務は侵入者の排除だ。造りは簡単で大体交番みたいな感じだが、最低限のものしか備品としては備わってなく、暑くても冷房はない。
職位はなくなっても、給与は落とすことはできない。よって、仕事と報酬のバランスは著しく毀損するが、簡単には解雇を通知できない仕組みからは、こうでもするしかない。
異動を申し渡した日、ある程度想定していたのか、表情ひとつ変えずにあっさりと彼は承諾した。(ふーん、そんなものなのか)
想定外だったのはここからだ。ガードハウスには必要最低限の備品しかないはずだ。ガードハウスに移ったからといって、従来どおり部下であることには変わらない。しばらくして、そこに行った。何と控えの休憩室を自分専用の執務室に模様替えし、いままで使っていた部長用の机と椅子も持ち込んでいる。おまけにクーラーまで取り付けられている。
これじゃ快適すぎる。おまけに仕事はラクだ。それで給料は今までどおり。そこまで堂々とやるか。予想外の展開だったが、我々(社会保険庁の職員を除く)にはにわかに信じられない行動パターンだ。このままだと、他のマネージャからも文句が出るだろう。気の毒だがクーラーだけは外させた。
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October 11, 2007
この総務部長、フィリピン流管理で良いなら、そう悪くはないマネージャだが、他のフィリピン人マネージャが日系企業のカルチャーをよく理解し、合わせようと努力しているのに比べて、ちょっと波長が異なる。例えば急ぎの仕事と家族サービス、彼は躊躇いも無く家族サービスを選び、そのように行動した。10周年式典のリハーサルも皆がほぼ徹夜で頑張っている時も彼の姿だけは無かった。
そんな彼に不倫の噂。探偵に後をつけさせていたことも恐らく気付いていたはず。既に信頼関係は崩壊しているから、どうやって辞めさせるか、彼にしてみればどうやって居座るか、チキンレースの様相だ。表面上は業務上の実務的な指示は淡々とこなしている。ここを怠れば解雇事由が成立してしまうから、彼もそこは承知していて、ある意味手抜きはできない。それでもテーマを与えて解決するというマネジメントに彼は弱く、この部分での力不足を指摘する材料はある程度揃ってきた。
その頃、探偵からの報告もほぼ事実をつかむ内容となっていた。さて、どうやって、あのガードハウスへの引導を渡すか。
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October 09, 2007
国が違えば文化が違う。文化が違えば価値観が違う。価値観とは何が重要で何はどうでもよい、そんなヒエラルキーだ。日本とフィリピン、意外となあなあの関係が通じたり、隣近所との垣根の無い付き合いがあったり、案外似たり寄ったりだ。
それでも、どうにも理解できないことも多い。まあ相手もそう思っているだろうから、お互い様だ。そのひとつの例である。
総務部長Tは取引先の女性マネージャとの不倫といい、甘すぎるマネジメントといい、部長としての職責を果たすのに既に難を抱えていた。かといって会社役員ではないので、簡単にクビというわけにもいかない。ましてや総務部長、この国の労働問題の法令にも長じている。そこで、参考になったのが正面にあった米系企業のやりかただ。
Fというこの会社は責任者としてフィリピン人を置いていた。業績によって厳しく査定されていたそうだ。あるときから、この責任者がこともあろうか守衛所にいるではないか。要はいやなら自ら辞めろ、ということだ。確かに彼はやがて辞めて行ったが、日本人の感性なら、守衛所に入る前に辞めるだろう。
弁護士に聞いても、微妙な線ではあるが、違法とは言えないという。明らかな嫌がらせは別として、必然性があるかどうかだ。そうか、それなら総務部長Tへの対処、やってみよう。
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August 25, 2007
マクタンの加工区では当然外資系企業がその存在の中心になるが、全体として共通の利益の為に団結して行動するとか、そういう側面は見られない。様々な国から来ているのだから、仕方の無いことだ。
そんな中で、日系企業は互いに情報を共有したり、互いの争いごとを避けたりする作用が働く。日本国内における企業行動そのものとも言える。では、争いごとのタネとは何か。何と言っても人材の引抜だ。これはまさしくご法度である。短期的には引き抜かれた方には即座に困るという状況。先々を見れば、好待遇で引抜き合戦を始めれば、給与相場に跳ね返る。
だから、マネージャやエンジニアが応募してきた場合に、現職で別の日系企業に在籍中の者は採用できなかったし、退職して間もないものの場合も、前職の会社に問い合わせて互いの了解の下に採用した。
ところがMEPZ2に米系のLというプリンターを製造する会社が来てからというもの、遠慮なく持っていかれた。欧米系はそこの責任者も今結果を出せなけりゃ自分の身に降りかかる。全体の協調などと、呑気なことは言っていられない。農耕型と狩猟型の違いそのものだ。
やがては、日本人同士のこの暗黙の掟も形骸化していくだろう。
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August 05, 2007
部下のUがある朝、血相を変えて私のところにやってきた。
「昨日、人を撃ちました!」
「えーっ、どこで、何で、どういうことだ?」
「個人的な問題があって、話しをしていたんですが、撃ってしまいました。」
「相手は死んだのか。どういうことだ?」
「足に向けて撃ったので、死んではいません。」
彼はそう言いながら、震えている。当り前だ。正直に話してくれたのは良いとしても、このままでは済まない。
フィリピンでは銃の保有は簡単で、私も1丁持っていた。と言っても保管場所が限定されている許可だから、持ち出しは不可。彼の銃保有も保管場所は自宅、と決められていたものを持ち出しての所業だ。法律に従うと言う規範意識が薄いフィリピンでは保管場所限定のはずの銃が巷で使われていそうだ。日本人が巻き込まれる犯罪にもそんな凶器が使われているのかも知れない。
因みに、彼はその直後に会社を辞めた。
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August 02, 2007
そんな彼もやはりというか、帰国後はフィリピンにUターン。既に会社も退職していたが、現地での就職は容易ではない。数ある中には、語学力がある場合に限って、ローカル企業、特に観光会社やリゾートなどに就職できる場合もあるが、それも長くは続かない。
彼は帰国前からいくらかの資金を投じて牛小屋を持っていた(正しくは関係者が運営していた)。フィリピンでは狭いスクワットの奥でも豚や鳥を飼っているのをよく見かける。僅かばかりでも収入を得るためだ。彼は現地風の生活に溶け込むのに然したる困難は無く、マーケットで見かけた、といった目撃情報も何度か聞いた。
Uターンして2~3年して、目撃情報は途絶えた。牛小屋はもう無く、彼がどこに行ったかも分からない。結末は想像の通りだろう。結果の部分だけ見れば、彼がフィリピンに赴任したことで、人生の歯車を変えてしまった、とも言える。
ところで、事業資金を日本人が出し、現地人が事業の運営をする。それも経営のケの字も知らない人が。このスタイルで仕事を進めてうまくいった試しがあるなら、聞いてみたいくらいだ。
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July 31, 2007
駐在などでフィリピンに滞在し、帰国した後にこの国に舞い戻ってしまう人は少なくない。滞在時はあーだこーだと文句をつけていた人達さえも、ここは第二の故郷だと言わんばかりに戻ってきてしまう。何とも不思議な国だ。
彼は、2年ほど駐在していた。彼が赴任して最初の年末がやってきた。駐在員は殆んどが年末年始は日本に帰国する。その年はセブを12月23日に発った。彼もその一人だった。私はその年の越冬隊員。会社は休み同然だし、ゴルフしかやることが無い。
数日たって彼はセブに舞い戻ってきた。
「どうしたの?帰ったんじゃなかったの?」
「そうなんだけど、日本はつまらないし。」
そこから先の彼の行き先は大方の想像のとおりだが、彼は日本に妻子がいる身だ。彼に格別な思いががあるのか、彼の家族に問題があるのか、第三者には分からない。ともかく彼は会社の宿舎に寝泊りすることはなかったが、宿舎での朝食の時には必ず帰ってきていた。そんな生活を彼はほぼ2年近く続けたが、彼にとっては不運なことに帰国の時期を迎えた。彼が言った、自分は帰りたくないんだけど、という言葉からは日本の家族への愛着は最早垣間見ることも出来ない。彼はやがて帰国した。
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June 14, 2007
フィリピンでは油断をすると、すかさず掠め取られる。特に日本人はスキだらけ。気風のよさを旨とする文化はいいカモだ。
会社の帰りに得意先の接待に行くことになり、通勤で持ち歩くカバンを自宅に置いてくるようにドライバーに頼んだ。後で気づいた。今日おろした1万ペソをカバンの中に入れてあったのだ。しまった。でも、我が家のメイドは人のものを盗むようなワルでもないし、多分大丈夫だろう。ところが…
我が家のメイドは鍵をかけて昼寝していたらしく、ドライバーは隣の家のメイドにカバンを預けた。アッチャ~。案の定20枚あったはずの500ペソ紙幣は19枚になっていた。
ゴルフ場でキャディにボールをバッグから抜き取られた経験は誰でもあるだろう。私はこれ見よがしに聞こえるように、プレーの前にバッグの中のボールの数を、「one,two,three…」と声を出して数えた。キャディもここまでやられれば、抜き取りは出来なかったようだ。ボールの1個や2個いいじゃないか、という人もいたが、良い人と尊敬されることもなく単に徹底的にナメられるのがオチである。
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May 22, 2007
フィリピンにいると日本人男性は100%金持ちと誤解されているせいで非常にモテるのは諸兄遍く経験することである。言葉なんか通じようが通じまいが、異常と言えば異常だが利害が一致してしまうのでどうしようもない。
ダバオのアポビューホテルに滞在していた時のことである。内線電話が鳴った。若い女性の声だ。
「I'm △△, I'm also staying here. I'm lonly…, Are you Japanese?」 (来たな~)
「Japanese? How did you know I was a Japanese? I'm sorry. What do you say if I'm a Korean?」
「Ah…, Im sorry」 … ガチャン。
確かこんな感じだった。宿泊者名簿は第三者にも筒抜けなんだろうが、昏睡強盗だったのか美人局だったのか、或いは単に交流を求めていたのか、日本ではホテルに宿泊していてこんな電話は来ないはずだ。でもどんな娘だったか、見るだけでも見ておけば良かった・・・。一緒にいた同僚は、「えー、何でそんなもったいない事をするんですか~」
今度は、また電話がかかってこないかと待っていたが、二度とコールはなかった。
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January 14, 2007
バンタヤンのビーチはセブあたりのそれと違い、天然の白砂だ。セブからマニラに飛ぶ機内から見るとひときわ目をひく。せいぜいマクタンよりちょっと大きいくらいの島だけど、マクタンと違うのは、低いながらも起伏があって、地形に変化がある。
ここには何回か行ったが、ふとしたことで、ある青年と知り合った。Mという青年は年齢は30前だが子供が一人いる。この青年、聞いたら父親は日本人だそうだ。苗字はSというどこにでもいるSであるが、しばらくはこの島で一緒に生活していたそうだ。ある日、突然姿を消した。彼は今でも理由はわからないと言っていた。日本人の我々には理由は想像できる。そんな彼も父親から日本語を教わっていたらしく、カタコト以上のレベルで日本語を話すことが出来る。だから彼はこの島では貴重な日本人相手のガイドだ。
そういえば、ここでは日本人のボディービルダーが事業を起こすとか、そんな話も聞いていたが実現したという話はまだ聞いていない。
この島にいると、何故だかやたら欧米人の姿が多い。旅行者もさることながら、住み着いてしまった欧米人(特に北欧が多いとか)を数多く見かけた。交通の便を考えると、旅行は良いとしても、住み着きたいとまで思わない私は未だ修行が足らないようだ。
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January 09, 2007
さて、事実関係は大体把握できたが、どうするかだ。就業規則に照らしても解雇にあたるかどうか、このようなケースは想定されてないから、何とも言えない。第一彼には弁護士などの知り合いも多いから、強行するには相応のリスクがある。かといって、このままで知らんぷりでは、他の社員への示しもつかない。
しばらく時間が経った頃のこと。対面の米系部品メーカーの社長が交替した。理由はよく分からない。この会社は、社長もローカル化されていてフィリピン人だった。まあ、米系はドラスティックだから成果が乏しければ経営者の首は簡単に飛ぶ。それにしても以前の社長はどこかに転職でもしたのかと思っていたら、何と、今はその会社のガードハウスにいるという。社長からいきなりガードマン?メンツだってあるだろう。そんなことがありえるのか。経理部長に聞いたら、特に珍しい話ではないという。しかし、次の仕事が見つかったら辞めていくだろう、だそうだ。
なるほど、これでいくのが良さそうだ。給料は下げられない。要は自発的な退職を促す、ということになる。
彼は意外とあっさり事実関係を認めた。処遇に対しても少し当惑した様子はあったものの、抵抗することなく受け入れた。翌日には自らガードハウスに移っていった。一つだけ要望があった。エアコンを付けてくれ、と。ということは暫くは居るぞ、ということだろう。
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January 07, 2007
Detectiveと呼ばれるいわゆる探偵と打合せを行ったのはそれから数日後だ。会社内で打合せる訳にもいかないので、空港近くのウォーターフロントで打合せた。彼は普段は空港内で警備に携わっていると言った。平日は会社を出てから帰宅するまで、休日は朝から自宅付近で待機し、外出中ずっと尾行を続けるそうだ。報告書は1日おきということになった。
数日間は、特に動きらしいものはなかった。探偵からのレポートも異常が認められないというステレオタイプなものが続いた。ところが2週間くらい経ってから、尾行を気づかれている可能性がある、と探偵が言ってきた。Tの車追跡中に突如スピードを上げたり、急に交差点を曲がったりするようになったという。更には通勤に使う車を毎日替えるようになったそうだ。Tは4台の車を所有している。
このプロジェクトが漏洩されている可能性が高くなってきた。部長クラスで2名がこの活動を知っている。まあ、問いただしても自分は漏らしていない、と言うことは目に見えているので問い詰めることはしなかった。そうするとむしろそのような情報も含めて情報が漏れる。やはりここはフィリピン。情報をリークすることで恩の売り買いが行われているのだろう。
探偵も追跡の車を替えたりして、再び追跡を開始した。それから1週間くらいしてからだ。シューマートで二人が落ち合い、買い物をした後で、彼女の家に入ったというレポートが提出された。やや不鮮明ながらも写真もある。買い物の際の二人の結構きわどい会話も報告の中で再現されていた。客観的には噂は単なる噂の領域を超えていると判断するしかない。
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January 05, 2007
チャンスがあれば(或いはバレなければ)浮気に走るのは男性としては否定しがたい性分であり、古今東西世の習いだ。100年以上前の政治家松方正義などは、孫の数はわからないと言うくらいに子孫を繁栄させていたそうだ。現代社会でそうならないのは余程自制心が強いか、幸か不幸かそのチャンスがない場合だ。フィリピンでは奥さんの立場が強いので、やろうにも出来ない環境にあるようだが、やる人はしっかりやっている。但し、余禄のカネがなければ出来ないのはどこも同じであるからして、会社でもあるポジションにいて、副収入(アンダーテーブル)がある者はそのチャンスがある。
Tの場合は、副収入というより立場を利用したケースだったので、問題になった。当時複数の派遣会社を使っていた。派遣会社のマージンは最低賃金及び法廷福利の合計額に10%強上乗せしたものだ。マージン率としては日本の派遣会社のそれよりもはるかに低い。現地ではどこの派遣会社もマージン率は似たりよったり。 ある派遣会社ではMという女性が管理者として頻繁に出入りしていた。年のころなら30ちょっとで、見るからにスペイン系の風貌だ。
彼女が来るようになってから暫くしてからである。派遣会社の管理をしているマネージャの立場のTとMがやはりというか噂になった。フィリピンでは誰かの勝手な想像がそのまままことしやかな噂になるのはよくある事。しかし、やがてどこそこで一緒にいるのを目撃したという者まで現れ、放っておく訳にはいかなくなった。派遣会社の社長も放っておくと自分の会社に不利に働くとみて、すぐに極秘に調査すると言った。
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December 29, 2006
Rにしてみれば珍しい日本人客でサービスしたつもりだろう。が、マグロの刺身くらいその頃はどこでも食べられたし、さして珍しくもない。それほどのものとは思わなかったが、他につまみが無ければ、それを食べるしかない。元来が好き嫌いは無いので、出された刺身は経理部長と全部食べた。
その日の夜中である。眠っているときに急に吐き気を催した。心臓もバクバクしていた。飲みすぎで酔って天井がクルクル回ることなら幾度となく経験しているが、それとは明らかに違う吐き気だ。それに昨夜は吐くほど飲んでない。収まらない吐き気と目眩で、その夜は便座にもたれかかったまま朝を迎えた。
果たしてカキがいけないのか、マグロがいけないのか、ワサビの解毒作用など真っ赤なうそだったのか、よく分からないが、わかったことは、フィリピンでは信頼できるところ以外では、生の魚介類はご法度だ、ということだ。勿論件のレストランには2度と行っていない。
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December 28, 2006
暫くしてRがニコニコしながら持ってきたカキは殻付だ。フィリピンのカキは何しろ小さい。殻の大きさの割にはアサリくらいの身しか入っていない。一応加熱されているらしく身がキュンとしている。さて食べていいものかどうか。
フィリピンに赴任した者は大体1ヶ月以内には下痢をするといわれていた。が、自分はその経験はない。ローカルレストランで出された水を飲んでも平気だったくらいだ。貧乏人育ちが役に立っていたのか。
件の経理部長は、Oishi, Oishi を連発して食している。まあ、きっと大丈夫だろう。一口食べて半生っぽい感じがしたが、久しぶりのカキの味には勝てず、サンミゲルで流し込みながら、結局二人で全部食べてしまった。
頼みもしないのに、Rはまた凍ったマグロも持ってきた。えーい、毒を食らわば皿までも、結局黄色いワサビを添えられたマグロも目の前に並んだ。いつの間にかオーナーのRも一緒になって飲んでいる。
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December 27, 2006
ノロウィルス騒ぎでカキが安くなっているのかと期待していたが、出荷調整しているのか、そうもなっていないようだ。安ければ燻製にしてオリーブオイルに漬け込んでやろうと算段していたのだが。
さて、カキと言えばセブでは苦い想い出がある。経理部長が、自分の友達がレストランを始めたのでおごるから付き合ってくれと言う。場所はサローサホテルの近くだが、まあレストランと言っても青空レストラン。当然フィリピン料理の店だ。主のRは日本人の客に感激したのか、マグロの刺身やら生ものを勧める。普段から生で出しているのか聞いたら、普段は生では出さないが、大丈夫だと言う。勿論断ったが、Rは残念そうにワサビだってあるのに、と粉ワサビの袋を持ってきた。暗い照明の中でも黄緑色のはずが明らかに白っぽい黄色になっているのがわかる。
そうこうやり取りしているうちにRはカキを勧めてきた。まさかカキを生で出すとは言わないだろう。
「カキはどう料理するんだい?」
「生でも出せるよ。」
(冗談じゃないよ・・・)
しつこく勧めるのでグリルしてくれ、と頼んだのだが。
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December 19, 2006
あれこれと思案をめぐらしても思い当たるフシは無いし、カードなどの保全を考える方が重要だ。翌朝、総務の女性に頼んで、持っていたカード類の連絡先に盗難の届けを出してもらおうと、リストを渡した。使われる前にカードが無効にされていれば良いのだが、日本とは違うから、すぐに手続きが出来るのだろうか。現金の数千ペソはとっくに諦めている。
秘書の女性は、「全て連絡しました」と言ってきた。あとは、カード会社が素早く処理してくれることを祈るだけだ。
その連絡があったのは昼休みの直前だ。空港からの連絡だ。「あなたの財布が拾われて、ここにある。」と言うものだ。我が耳を疑った。ここはフィリピン、そんなばかな。たまたまサイフに名刺やら、空港建物の入場パス(空港内に自由に入れる身分証)が挟んであったのが幸いしたのか。受け取りに行ってさらに驚いたのは、どう見ても中身が抜き取られていない。拾得者は機内にいた人で、その人は乗務員に渡し、乗務員が空港関係者に引き渡したそうだ。名前も控えていなかったようで、お礼を言う機会もなかったが、フィリピン人の中でもそんな人達だっているわけだ。
そんな中での、最近のセブの詐欺事件。日本人=清廉潔白という関係式は崩れ去っているようだ。
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December 17, 2006
フィリピンと言えば、危ない、いい加減などまるで油断もすきも無いとでも言わんばかりの形容詞が並ぶらしい。確かにそんな面があるのは事実。じゃあ、日本人とフェイズが合うような正直で律儀なフィリピン人はいないのか?そんなことはない。
その日は所用でマニラにある日系の銀行に行った帰り、夕方にマクタンの空港に着いた。熱帯のフィリピンでは普段は背広を着ていないため、財布は横長の札入れでなく、折りたたみの札入れをズボンの後ろポケットに入れていた。ポケットから財布が飛び出していなければ、盗賊に遭う事はほぼ無い。
この日は疲れていたため、機内でかなり体を横にして眠ってしまった。マニラとセブは1時間ほどで着くから目が覚めたときは慌てて降りる段取りだ。さて飛行機を降り、待機している社有車のドライバーに促されるまま車に乗り込んだ。
社宅に到着したときである。後ろポケットに手を突っ込んだとき、財布が無いことに気がついた。咄嗟にどこかで盗まれたと思った。マニラの空港で使用料を払ったのだからそのときはあったはず。空港のジャニターか?機内の乗客か?財布には大体いつも5千ペソ前後の現金とクレジットカードなどが入っているのだが。
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December 11, 2006
その日は午後4時からクリスマスパーティになるので、朝はいつもより出勤時間は1時間早い。それにしてもこういうことの段取りは彼らは本当に早い。ステージや観覧席などとっくに出来ている。ASEANの会場準備のモタツキが信じられないくらいだ。司会を買って出た受付のRは堂々と司会をこなしている。このあたりは日本人には真似できない。
ついに順番が回ってきた。練習では歌詞を見なくても一通り暗記できているが、ちゃんとできるだろうか。司会のRはステージに上がるよう促す。自分で言うのも何だが、会場からは割れんばかりの拍手。曲がjかかった。この歌は3番まである。火事場のナントカではないが、案外練習どおりいけるじゃないか。そう思った途端、急にリラックスムード。やはり余裕の気持ちで歌えば声の伸びがいい。曲に合わせて歌うのでなく、曲がついて来る感じになるものだ。少なくとも今までの中では拍手の多さでは引けはとらなかった。
だが、上には上がいるものだ。何と言う曲だったか(日本では郷ひろみがアッチッチとか言って歌っていた)やってくれた二人の日本人がいた。彼らは普段は無口でどちらかと言えば目立たない方だ。そう、そんな彼らも秘密の特訓を毎夜重ねていたのだ。彼らは英語で歌う方はハナから放棄している。その分をフリでやってきた。
恐らく完璧なフリだったら、あそこまで受けなかっただろう。いかにもとってつけたようなぎこちないフリがフィリピン人には印象的だったようで、爆受け。
相手に印象付けようとするなら、中途半端な完璧を目指すよりも、このような新鮮さもあるものだと感心した。
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December 07, 2006
この歌は、エイプリル・ボウイズとかいう歌手が歌っているそうだが、元は日本の曲だ。長渕剛の“乾杯”と言えば誰もが知っている曲だが、タガログ語でも歌われている。日本の歌はかなり多くの歌が現地語にコンバートされて歌われているのだ。徳永英明の曲などは女の子にはかなり好評だった。
この他に逆にフィリピンオリジナルの“息子よ=ANAK”も考えたがちょっとやってみて断念した。節回しと言うか、字数が多くて覚え切れない。英語の歌も検討したが、どちらかと言うとアップテンポな曲が好きなせいか、自分の好みの歌は歌詞カード無しには歌えそうにない。そう、アンチョコなしでやらねばならないのだ。
ガイサノに言ってカセットを買ってきた。1ヶ月くらいは毎晩カラオケで特訓した。カラオケの女の子達に、これは元はと言えば日本の歌だ、といっても信用しない。フィリピンの人達はこの歌を本当にフィリピンの歌だと思い込んでいる。
そして自分の部屋でも出社前は毎朝テープを聴きながら自分でカタカナの歌詞カードを作ったり、悲しいほどの努力を続けた。そしてとうとうその日を迎えてしまったのだ。ユーティリティガールのCは朝から、「あなたの歌を聞くのが楽しみだ」と言ってくる。あー、もう帰りたい・・・
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December 04, 2006
その日は朝から憂鬱だった。天気が良ければ見えるボホールの山並みも、雨季の空ではどんよりとして見えない。今日これからの1日を象徴するような天気だ。
ここ1ヶ月ほど、今日のために毎朝毎晩練習してきた。それでも自信が持てない。皆はどんな反応をするのだろうか。途中でわからなくなってパニクったりしないか。元来が心配性なのである。私は大勢の前に出ることはあまり好きでないし、そこで衆人の前で何かを披露する、というのは出来ればやりたくないことだ。
私がいた会社では、日本からその年に赴任した駐在員は、その年の会社のクリスマスパーティで1曲歌わなければならない。ざっと言って2千人近くの聴衆の前で、ということになる。フィリピンで日本の歌を歌ってもシラけるだけだから、英語か現地語の歌でなければならない。早く曲名を決めてくれと言われて、すでに、歌う予定の曲名は渋々総務の者に伝えてあった。2週間前になって
「本当に歌わなきゃダメかい?」
「あなたの歌は私も聞きたいし、皆が期待しています。」
どうやら外堀は埋められている。やはり逃げ通すことは出来ないと観念するしかなさそうだ。そしてついにその日が来てしまったのだ。歌うのは Sana'y laging magkapiling だ。
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October 27, 2006
日系企業では国をまたいだ拠点間の生産ライン移管が頻繁に行われる。販売市場や安い労務費を勘案すると、フィリピンから中国やベトナムなどへの移管の流れは今後も続くだろう。そうなると、具体的な生産技術の移管のためには、英語-中国語の通訳が求められる。
中国側のラインリーダー達(やはりここも多くは女性だ)が数ヶ月滞在するためのインフラも全て整い、必要な通訳も数人確保した。
さて彼女達はやってきた。ところが通訳を介しても言葉が通じないのだ。通訳のレベルかな?断片的には通じるようだが、仕事で指示を飲み込める状況ではなさそうだ。通訳の彼らも手に負えないと言い出した。何故か?
中国の現地法人は華南にある。そこから来るのだから多くは広東語の連中と見ていたのが間違いだった。中国では華南の人間はあまり真面目に働かず、働き者は東北部の満州の人達で、華南の工場と言えども、作業者は東北部からの出稼ぎだと聞かされた。彼らは北京語である。そうか、では、北京語が出来る通訳を探せばよい。
が、そうは問屋は卸さなかった。セブ辺りにいる中華系は殆どが、華南それも福建省出身で、話す言葉も福建語だと言う。これではまともに言葉が通じないはずだ。結局その後、新聞広告で募集を出しても北京語が話せる者は1名しか採用できなかった。
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August 27, 2006
最近、日本のスーパーでもフィリピン産のマンゴーを見かけることが多くなった。ゼリーやらプリンやら加工されたものも多く、ちょっとしたブームに見える。ところがフルーツとしてのマンゴーはどうも味覚の点で今ひとつだ。甘みといい酸味といい、セブ辺りのものと比べると、似て非なるものになってしまう。これはバナナやパイナップルでもそうなのだが。
日本の農林水産省植物防疫所は、フィリピン産マンゴーについて、生産地で生果実の中心温度を46.0度とする蒸熱処理を施したものに限り輸入を認めている。
だそうである。これが原因だからイマイチなのか、輸送中の品質保持のためのものなのか、どうにも物足りない。
シャツやパンツに包んでスーツケースに忍ばせ、いつも6個位まではバレずに日本に持ち帰っていたが(バレれば没収)、それらのマンゴーと輸入品とでは、味覚の点で比べ物にならない。
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August 14, 2006
それにしても一昨日は久しぶりの停電だった。雨の降り方も半端ではなかったが、少なくとも停電に出会った記憶は日本ではここ数年ない。山手線も止まってしまった。
以前、東電の方にこんな話を聞いたことがある。飲食店が集まっている地域で停電が発生したときには、菓子折りを持って1軒ずつ謝りに行く、ということだそうだ。今でもそのような対処をしているのかどうかは分からないが、確かに電気が止まってしまえば、飲食店の経済的被害は少なくないだろうし、日本では何があっても電気は止まらないはずのものなのだ。
停電など日常茶飯事のフィリピンではどうか。経済活動を営んでいるところの多くは発電機を持っているから、一応のバックアップはあるといえるが、停電発生からすぐに切り替えが出来るわけではないので、設備や工程によっては仕掛品にオシャカが出てしまうこともある。
あまりに頻繁に停電が発生するので、状況説明に来い、といってMEPZ内の電力供給会社のマネージャを呼び出したことがある。やってきた彼はジーンズにTシャツ、サングラスといったいでたちで、謝るような気持ちはサラサラなさそうだ。しかも言うことが奮っている。
「原因の多くは設備の老朽化であるが、老朽化自体は自分たちの責任ではない。」
「時々点検して、老朽化で不具合が発生すると思われるパーツは、事前に取り替えるべきだ。」
「そんな無駄なことは我々はしない。パーツは不具合が発生してから取り替える。」
予防管理に対する日本人とフィリピン人の認識の違いは何処まで行っても埋まることはなさそうだ。
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July 17, 2006
さて、扉を開けて中に入ると、やはりというか、ビキニバーのようなショーが繰り広げられていた。それにしても参加者は100人くらいはいるだろうか。懇親会といった雰囲気で、互いに顔馴染みなのか、固い雰囲気はない。なるほど、こういった人脈がそのままビジネスにも反映されていると言うことなのだろう。彼は親しい仲間に私のことを次々と紹介してくれたが、名刺の山になっただけで、どれが誰だか正直全く覚えることはできなかった。
ビキニバーのようなショーと言ったが、違う点がひとつ。踊っている20人ほどの彼女たちはどう見ても本職ではなさそうだ。見るからに年齢が若い。彼の話では全員が大学生だそうだ。
そして驚いたことに、司会者の合図で今度は彼女達全員がトップレスに。そうなると、さっきまで思い思いに談笑していた彼らは必然的にステージに視線を集める。中には彼女たちに声をかけたり(交渉?)している者もいる。彼女たちはというと、意外とアッケラカンとしている。「実は今日はこういう趣向になると、俺のところに情報があったんだ。」と彼は胸を張った。
日本でビジネスマンの集まりでこうも大っぴらに不埒なパーティというのは聞いたこともないし、憚られるものだ。この国でビジネスマンになるなら、こういうことを楽しむセンスもまた必要、ということか。
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July 15, 2006
ラホーグのウォーターフロントの2階にカジノがあった。2階には他にも会議室のような部屋もいくつかあったようだが、普段は人の気配は少ない。カジノには暇なときは私も時々お世話になったが、日本人の多くはスロットマシーンの辺りにへばりついていたようだ。その当時は「I’m staying here」とでも言っておけば、タダで入場できた。ギャンブルは従来より競馬一辺倒(共同馬主で馬を持ったこともあったくらい)だったので、運任せのギャンブルは性に合わず、足もやがて遠のいた。
再びここの2階に足を運ぶ機会があったが、今度の行き先はカジノではない。同じ2階でも小部屋のほうだ。現地のビジネスマンから、セブのキーパースンの集まりがある、と言うので誘われて来てみた。
ちょっと風変わりなパーティだ、とだけは聞いていたが、来てみれば分かる、と言うので、どんな趣向なのか、どんな顔ぶれが集まっているのか、ちょっと見てみたいという興味もあって、やってきたのだ。
扉を開けて入ってみると、そこは受付のための小部屋になっている。彼はどうやらこのビジネスクラブのメンバーらしい。受付の幹事役らしい人物に私を紹介してくれた。彼の友人と言うことで、私も入場を許可された。会場はその奥の扉の向こう側のようだ。賑やかな音楽と声が漏れてくる。この音楽から雰囲気は何となく想像はできた。
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June 10, 2006
フィリピンはジョブホッピングの世界である。実力があろうがなかろうが、誰もが自分のキャリアを目一杯上げ底にして、転職を試みる。すでに高給取りのマネージャクラスでも言わずもがな、である。
クラークやテクニシャンクラスなら代わりはいくらでも居るが、マネージャクラスになると辞められた後の穴埋めは容易ではない。そうならないための、定着度を確保するための端的な算段は給与アップであるが、これがそう簡単ではない。どうしても辞めて欲しくないマネージャだけを厚遇しようとすると、本人にも迷惑な話になってしまうのだ。そう、クラブメンタリティである。自分だけが組織の中で上昇することは妬みの対象になることでしかない。賢明な連中はこれを好まない。結局マネージャ全員を厚遇せざるを得なくなるのだ。かといって青天井には出来るはずもない。
ここで活躍するのが、マネージャへのローンの利子補給制度である。マネージャといえどもそこはフィリピン人である。金はなくても欲しいものはどんどん買いたい。そこで会社がバックアップして、提携している銀行との間でローンを組ませ、家や土地、車を買えるように道筋をつける。数年間のローンで彼らは資産を手に入れる。すでに借金漬けで足抜きが出来ない図式が出来上がるわけである。
私が知り得る限り、このローンを利用していないマネージャはいなかったはずだ。
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April 07, 2006
フィリピンで操業していると、無遠慮な寄付の無心もさることながら、言いがかりとも思える要求も少なくない。先般のNNAの記事では、ヨコハマタイヤ・フィリピンでは関係者の方のご努力で不当な課税を撤回させたという記事を目にした。(以下引用)
ヨコハマタイヤが非関税地域であるクラークから国内市場向けに製品を出荷する際には、関税の支払い義務が生じる。ただその課税対象は、同社が実際に輸入したゴムなどの原材料であるべきだが、一部は製品のタイヤそのものとなっていた。このため、最大で10倍ほどの開きがある異なる税率に基づく関税額の支払いを要求された同社は、政府関係機関にその不当性を説き改善を求めてきた。しかしその一方で、関税納付をこれまで続けてきたという。
私が滞在していた時にこんなことがあった。日本から溶剤を輸入した時に、手違いで一部の書類で揚げ地の記入ミスがあり、まずは品物の通関が止められた。手違いの非は認めなければならないが、それに対してどう出たか。
カスタムからは何と約150万ペソのペナルティを要求してきたのである。書類上のミスならば再提出させるとか、そもそも根本的な問題ならば輸入を認めない、など違う対応になりそうなものだが、書類上のミスをペナルティという名のもとでカネで解決させると言うやり方が本当に存在するのか。
品物が来なければ生産はストップせざるを得ない状況では、言いなりになるしかない。フィリピンでは公の機関によるカツアゲは事業リスクの中に織り込んでおかなければならない要素のひとつだ。
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March 29, 2006
スズキもイトウも会社にはいない。大体において加害者の名前のスズキとイトウには類似性がなく、日本人にありそうな名前を適当に言っているのだろう。そうかと言って、彼らの前に日本人を並ばせたら、とんでもない結末が見えている。女性が適当に「あっ、この人です。私を強姦したのは。」と誰かを指差せば、万事休す、である。
とにかく、彼らの目の前に日本人が姿を現してはいけない。彼らにとって日本人なら誰でもいいのだ。構内放送でゲート付近に近づかないように、と日本語でアナウンスし、携帯と内線電話を使って、全員に状況を伝達した。
警察官たちは一向に引き下がる気配がなかったが、
「ここにはスズキもイトウもいないが、明日なら日本人全員がいるのでまた明日来て欲しい。」とU課長がいうと、やっと立ち去った。
我々は、直ちに日頃懇意にしていたプレジデンシャル・アシスタントのF氏に相談した。マクタン第2ブリッジの袂に建っている銅像は彼の父親である。彼は身分証のコピーを見て、警察官が所属している組織の責任者にその場で電話した。
「もう大丈夫です。彼らは二度とあなた達の前には現れません。恥ずかしいことですがフィリピンではクリスマスのこの時期になると、いるんですよ、こういう人達が。」
それにしても、その時、もし彼らの前に全員が並んだら、誰かはそのまま連行され、1ミリオンペソの金を要求されていただろう。或いは死刑囚として・・・。もし私が指差されたら、今頃は日本にいなかったのかも。
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March 27, 2006
フィリピンでの生活もしばらくすると色々な出来事に慣れっこになり、次第に感動や驚きも薄れてくるが、この出来事は記憶から消えてしまうことはないだろう。
12月中旬のクリスマスの真っ最中の頃だった。。突如会社の正門に国家警察の身分証を持った者が訪れた。
「この会社にいる日本人がこの女性を強姦した。彼女はまだ18歳である。」
傍らには“被害者”の女性も立っている。応対に出た総務課長Uはガードハウスの電話から日本語で私に連絡してきた。日本語ならこの警察官にも会話の中身は分からない。
「この中に犯人がいるはずだから、日本人をここに全員並ばせろ、と言っていますが。」
フィリピンでは未成年者への強姦は死刑になると聞いていた。もし本当ならとんでもないことになる。まさか、同僚の誰かが・・・
「まず、本当に警察官かどうか証明書を見て欲しい。そしてコピーを取るからと言って、借りてガードに持ってこさせてくれ。」
身分証明書は何人かで見たが、どうやら本物らしい。U課長はといえば彼らを構内に入れないよう頑張っている。さて、どう対応したらいいのか、緊急に事業所責任者と総務部長を交えて協議した。
「まずは、強姦したというその日本人の名前を聞いてみてくれ。」
U課長は警察官に問いただした。
「スズキという名前だ、と言ってます。」
「ここには駐在員でも出張者でもスズキという者はいない。犯人はここにはいない、と言って帰ってもらおう。」
U課長はそのように説明した。ところが、警察官は突如
「スズキというのは間違いでイトウだ。」と。そして、
日本人全員を我々の前に並ばせろ、の一点張りである。さて・・・
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March 14, 2006
日本では、選挙活動については様々な法的な制約があるし、夫々の違反に対しては連座制の適用など、なかなか厳しいものがある。フィリピンは買収から殺人まで何でもありの国とはいえ、選挙活動も日本人の感性から言えば常軌を逸している。
先ごろのとある調査で望ましい次期大統領として名前の挙がっている上院議員のD氏が上院議員の選挙の前に会社にやってきたことがある。加工区内でも決して少なくない社員数があったので大票田であることを知っての来訪であろう。直前ではあるがアポイントメントをとり、大勢の取り巻きを伴ってやってきた。
事業所責任者との面談もソコソコに、突如彼は「スピーチをしたいので、全社員を集めて欲しい。」と言い出した。それも今すぐに、である。キッチリと生産計画が組まれている工場ではたとえ5分でもラインを止めることなどできやしない。モノによっては仕掛かりはお釈迦となってしまう。そんなことはお構いナシの突然の要求だ。
外資企業の懸命な操業によってこの国がやっと維持されている現状を認識していないのだろうか。政治家が現実をどれだけ正しく認識しているのだろうか、という側面においては本当にお寒い限りだ。因みに氏の要求は丁重にお断りしたところ、無愛想に帰って行った。
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March 10, 2006
どうもJは怪しい。私はJではなく、別の総務の女性にPALのオフィスに電話してもう一度、駐在員の人数分の申し込み用紙を貰ってきてくれと頼んだ。そして、何日くらいでカードを受け取れるのかを聞いてくれ、と。彼女は数日のうちに発行できる、と確認した。ほれ見ろ。本当はとっくに発行されていたんじゃないのか? その翌日である。Jが私のところに人数分のカードを持ってきた。曰く
「今日このカードが届きました。」
ンナ訳ないでしょ。ここは推測だが、JとPALの担当者はツーカーだ。「あんた、別ルートから申請書が出されているようだし、バレているんじゃないの?」という情報を聞き及び、とうの昔に発行されているカードを慌てて差し出してきた、ということであろう。
どうりでJは毎月のように私用でマニラを往復していた。駐在員のマイレージをちゃっかり流用していたということだろう。彼女の給料で毎月飛行機でマニラに旅行するというのはあり得ない。このことを総務部長にも尋ねてみた。
「あれっ、知らなかったんですか?」
ときた。しかも行くときはいつも彼女のボーイフレンドも一緒だったらしいから、我々は相手の男性の飛行機代も援助していたという訳だ。
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February 25, 2006
フィリピンでは今日25日はエドサ革命記念日で特別休日に指定されているそうだ。 この国では、大統領の気まぐれで突然祭日が設けられることが少なくない。働く側としてはメリットなのかデメリットなのか、受け止め方は二分される。
日本でも平均的なサラリーマンがそうであるように完全月給制なら、給料は変わらずに休みが増えるわけだから大歓迎である。ところが日給月給制となるとそうもいかない。その祭日に会社が操業してくれれば、その日の日給が確保される上に休日勤務手当がつくから良いわけだが、じゃあ会社も休みにするか、と言うことになれば、1日分の給料が減る。
会社にしても、忙しい時期なら操業を止める訳にもいかず、単に休日出勤手当が嵩むだけである。逆の場合は、体よく社員を自宅待機させることになり、労務費が浮く。かように、会社にも働く側にも様々な影響があることなど斟酌していないのではないかと思う。
それでも、事前に通知があれば対処のしようがあるが、かつて1度だけ、事後に通知が来たケースがあった。過去にさかのぼり、いついつは祭日だった、という決定である。当然、その日の勤務者は、休日出勤扱いで給与計算がなされなければならない。雇用者側としてはだまし討ちにあったようなもので、しかも給与計算の事務も混乱する。
果たして、ほかの国でも、こんなことはあるのだろうか。
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December 24, 2005
その日の午後を少し回った頃、Jから連絡があった。
「今日はビザをもらえませんでした。」
「何故だ?今日発行するという連絡があったから、そこまであなたは行ったのじゃないのか?」
「そうなんだけど窓口を閉められてしまいました。」
「どういうことだ?」
「さっき受付に来たら、きょうは今からクリスマスパーティをやるので、明日また来るようにって言われました。」
「そんな・・・」
さて、Jは近くの安宿に泊まり、翌朝事務所に向かった。窓口で再度受け取りの申し出をしたところ
「受取の期限を1日過ぎているので、ペナルティが発生した。2万4千ペソのペナルティを支払いなさい。」
これにはフィリピン人のJもびっくり仰天。受取日を指定され、その日に行ったら急に窓口を閉められ(それもクリスマスパーティをやるからという身勝手な理由で)、翌日来いと言われたので翌日行くと、期限を過ぎているので罰金を払え、と言われる。“何でもありのフィリピン”ではあるが、公の機関がそこまでするか!?
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